オープンスペース街・日誌 |
2000年1月 |
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1/29 うめちゃん、えばっち、そして前進友の会のみんなより |
6.3 すべてのいのちのチャンプラリズム・コンサート 前回のイベント実行委で、コンサートの主題が決まり、26日、沖縄料理店「チャンプルー」に20人近くが集まってサブタイトルと出演予定者を話し合いました。 出演者で決まっているのは、知念良吉さんとヨッシー(吉崎健)だけで、一人ひとりが出てもらいたい音楽家をあげました。 沖縄関係では、寿、エイサー、「チャンプルー」でお馴染みのまよなかしんや、カーミーズなど、在日関係では李政美(イ・ヂョンミ)、朴保(ペク・ポー)、他では韮沢さんたちのユニーク・バンド、「チャンプルー」常連のセブンスローズ、アリちゃん、沖電機を解雇された田中さんなど25バンドがあがりました。 アピールでは、最近「チャンプルー」に入り浸っている軍隊を廃止した国・コスタリカのアルさん、ハンセン病、その他。 スペシャル企画としては、叫ぶ短歌詩人の福島泰樹VSえばっち(前進友の会)の詩のボクシングという案が出ました。 次回の会議は、2/1日、午後8時頃から「チャンプルー」で。 則子さん情報 26日、頭の手術の時の抜糸をしました。お喋りは昔の則子さんのように絶好調です。 27日はシャワーとシャンプーをして気分を一新、産婦人科の病棟に引越ししました。31日(月)に今度は子宮筋腫の手術です。今度も成功することを願っています。 |
1/25 こんにちは、街のみなさん/ハセぴー |
在特一斉行動速報 1/23 APFSのツクバです。すでに東京新聞で報じられているためご存じのかたも多いかもしれませんが、9月1日に出頭した21名の結果がほぼ決まったとのことです。許可が7名、不許可が7名、留保7名の内訳だそうです。どの家族、個人かはまだわかりませんが、詳細は改めてご連絡します。 APFSでは、10日間緊急行動の最後として、明日24日、11時から法務省前にて緊急アピールを行う予定です。この結果を受けて、大々的に行いたいと思います。お時間の都合のつくかた、ぜひ、ご参加ください。 |
1/21
手術の報告 本日の午前中に則子さんの脳腫瘍の手術が公立昭和病院で行われました。午前8時40分に部屋を出て、午後0時40分に戻ってきました。 主治医の話では、「手術は成功!」ということです。 これで第一の大きな山を乗り越えることが出来ました。激励していただいた全国の皆さんに感謝いたします。 夜の面会には、「街」の直子さん、チューやん、こどく館の元木さんが向かいました。「チャンプルー」では、午後に行われた「全都患者会」に参加した、ほっとスペースの多田さんが残ってお祝いをしています。 とりあえず、手術の報告まで。 |
1/20
明日、則子さん手術 脳腫瘍と子宮筋腫の手術のために入院している「街」の所長・則子さんの最初の手術が、明日の朝、行われます。先ほど「チャンプルー」に戻ってきましたが、今日は岩元さん(元ホットスペース練馬・所長)と、こどく館の元木さんが面会に来ていました。感謝・感謝。 明日は、ハネやん、息子のユッ君、安西さん(陽和病院患者会)の3人が付き添うことになっています。順調にいけばお昼には病室に戻ってきます。全国の皆さん、手術の成功を祈ってくださーい。 祈るような気持ちでいます/新松橋亭同人・モロ いよいよ明日則子さんの手術ですね。このあいだお見舞いに行った時はとても元気そうでしたが、いよいよとなると街のみなさんの心配もさぞかしとお察しします。そして私も祈るような気持ちでいます。則子さんの元気な姿をきっとまた見る事ができますように。 |
1/14
高見闘争・署名総数3770名でした/投稿者・高見 高見闘争の多くの署名ありがとうございました。 http://homepage1.nifty.com/takamitousou/ 則子さん、その後の経過 「街」の所長・則子さんは2つの手術を受けるために、1/12に急遽、入院しました。現在は術前検査を受けています。来週の後半あたりが手術予定日です。 「街」の関係者以外では、キムさんをはじめ新松橋亭同人の方々、遊人永屋こどく館の元木さん、横浜の中島さん、ヨッシー、「街」や「チャンプルー」のお客さんなど、たくさんの人が面会に来てくれました。則子さんに代わってお礼を申しあげます。 当面は、来週の月曜日を除いて、手術の前あたりまでは面会だと思いますので、よろしくお願いいたします。 |
1/12 今日の午前中、「街」の則子所長が緊急入院しました。手術は来週の予定です。ハネやんはじめ、動揺しているので、当分、伝言板への書き込みできないかもしれません。ご了承ください。 |
2000年1月10日 ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY (A.P.F.S.) 謹賀新年 9月1日に出頭した21名はいつ結果が出るかわからない不安定な状況が続いていますが、無事、新年をそれぞれの自宅で迎えることができました。今のところ、呼び出しは受けていません。いよいよ今年が正念場です。出頭当初から、年内にも不許可の方向で結果が出ることがささやかれていたことを考えますと、年内決着を妨げることができたことは、全国に広がった運動の成果だと考えています。今後は東京都などの公益自治体に対する陳情なども行っていきます。ますますのご支援をお願いい ●在特一斉行動 第二陣、17名にもご支援を! 17名への支援は21名と同様に行い、今後、新たな支援を検討していく予定です。また、在特弁護団も同様に17名の支援を行っていきます。17名の詳しい資料につきましてはAPFSまでお問い合わせください。
●27万人署名 第2回集約日は1月31日です ●ブックレットのお知らせ 全国キャラバン報告 12月 15日 法務省前出発 |
普天間で岸本市長/条件付き受け入れ表明 クリントンの年内決着への恫喝・小渕首相の総力をあげての圧力は名護市議会・行政レベルを暴走させた。 去る12月日27日、岸本名護市長は普天間基地の名護市キャンプシユワブ周辺地域への移設受け入れを表明した。これで、10月の沖縄県議会での県内移設推進決議、11月の稲嶺知事の受け入れ表明、12月23日早朝、天皇誕生日そっちのけで徹夜審議を行い移設推進決議をした名護市議会と続いた一連の「年内決着」の動きが終わった。 クリントン米国大統領がケルンサミットの時に出した恫喝が年内決着だった。もし年内決着がなけれぽ、沖縄サミットに来ない・・・とまで言われて、小渕首相は総カをあげて稲嶺知事をはじめとする沖縄の保守層、議会、行政への圧力を強めた。 だからこそ全く具体的計画のないままに議会・行政レベルで突っ走ったのである。この暴走行為は、行く先々に幾重にも張りめぐらされた御万人(民衆)の検問態勢の壁によって失速し、転倒することが眼に見えている。何といっても97年12月の市民投票の結果を一方的に覆すものであり、95年の三人の米兵による少女暴行事件が起こった名護市に海兵隊を増強しようという理不尽極まりないことを受け入れたのだから。 そもそも暴走の両軸に無理やりさせられてしまった沖縄の議会、行政レベルの質が、1609年の薩摩侵略以降続いてきた日本国家、中央政府への奴隷的忠誠心の呪縛を脱しつつある、というのがポイントである。15年の使用期限をはじめとする数々の前提条件が満たされなければ受け入れを撤回すると言い切った岸本名護市長の立場は、大田知事を先頭にして95年以降闘ってきた御万人の力がしっかりと押し上げたものである。行政レベルの抵抗と御万人の想いの結集を見事に実らせたのが、97年12月21日の市民投票から98年2月6日の大田前知事の受け入れ拒否声明だったことを、私たちは誇りをもって思いおこすべきだろう。 ヘリ基地反対協の共同代表の一人安次富さんが「これからは私たちのペース・スケジュールで闘いをしていく」と語っていたのが印象的だった。私たち御万人こそが、沖縄の主人公であり未来を創っていく主体だという確信、自信がなけれれば言えない言葉だと思った。実際、この間二度にわたって行われた世論調査では、普天間基地の名護移設について、沖縄全体でも50%以上、名護市民では59%が反対を明確にしていた。 御万人の斗いとその土壌は、大田前知事の時代よりもより大きく豊かになっているのだ。その力は、日本国家と中央政府、経済的呪縛からの分離独立という抜本的解決の道へ遠からず踏み込んでいくに違いない。そうした沖縄の状況の一方で、私たちに一貫して問われているのが、日本における閉塞状況をどう突き破るのかということがある。斗う仲間たちの中にも、稲嶺知事をはじめとする沖縄の議会、行政への失望と怒りの声が高まり、日本政府の差別政策を変え切れない苛立ちが広がっている。 自自公連立に加えて、民主党も含めた改憲勢力が、未曾有の不況と戦争体制以来という国家財政破綻の中で、日本の御万人の自由を圧殺し、生活防衛というファシズムヘの道をひた走っているのだ。 沖縄問題は日本全体の問題である、という基本に立ちかえり、日米安保という軍事同盟を破棄し、改憲を許さない広範な運動を結び合い大きくしていかなければならないだろう。 その意味で、「戦争協力を許さない集い」が超党派の国会議員、民主団体、労組の共闘によって持続していることは大事にしたい。そして、同時に、昔流行った「草の根」レベルの運動を縦横無尽に張り巡らせ、広げていきたい。そのためにも、私たち一人ひとりが今までの活動、生活の殻を破って大胆に、豊かに自己表現、自己実現する充実しきった改革をしていかなければならないだろう。その道こそが、沖縄で、名護で、アジア全域で活き活きと斗い、生活している多くの仲間とのユイマール(絆)によって、平和と人権を確立していく道だと思うからだ。 21世紀を御万人の平和と人権へ変えるゆったり大きな流れに合流していこう。 (「命どぅ宝通信」特別号/1999.12.29) 兵庫県芦屋郵便局の被免職者、高見です。 |
21名が望んでいるのは日本で普通に暮らすこと。ただ、それだけです。 |
〜在留特別許可一斉行動「27万人」署名をご支援ください〜 1999年9月1日、イラン人、ビルマ人、バングラデシュ人の5家族19名と2名の単身者の計21名が、東京入管管理局に、在留特別許可を求め、出頭しました。彼らは在留期限を超えて滞在し続ける超過滞在であることを自ら認め、子弟の養育、就労中に負ったケガなどを理由に、このまま合法的に日本に在留するため、法務大臣の裁決による在留特別許可を求めています。 今、日本には彼ら、彼女たちのような超過滞在者が約「27万人」います。 超過滞在、いうなればオーバーステイ。入管法では「不法残留」とされています。「不法残留」でも外国籍住民の一人として市区町村役場に登録しています。登録の義務があるためです。働けば所得税が給料から引かれ、市区町村役場からは住民税も徴収されています。納税の義務を果たさなければならないからです。けれども、国民保険には加入できません。不法残留者には住民としての権利が認められていないためです。その上、超過滞在であるために、いつ警察や入管管理局の摘発を受け、退去強制処分を受けるかわからない不安も絶えず抱えています。このままではずっと摘発を恐れながら、暮らしていかなければなりません。日本で安心して暮らすための道は、在留特別許可を求めることでしか開けないのです。 今回の出頭は、そういったやむにやまれぬ選択でした。21名が日本政府に求めているのは、特別なことではありません。日本で安心して暮らすための権利を認めてほしい。ただ、それだけです。在留期間を超えて滞在することは、入管法に違反する行為です。でも、それ以外は日本の法律に違反するようなことは何もしていません。真面目に働き、住民としての義務を果たしているのだから、日本社会に住民のひとりとして受け入れてほしい。いつ警察や入管の摘発を受けるかわからない「不法残留」の不安な毎日が、安心した日々となり、普通に生活していきたい。それが21名の願いです。 私たちは27万人分の署名を集め、彼らの在留特別許可が1日も早く認められることを、政府に訴えていきたいと思います。ひとり、ひとりが27万人の超過滞在者に思いを寄せ、21名が在留特別許可取得のための、支援に力をかしてください。ご協力お願い申しあげます。第一回集約日は12月15日です。 1999年11月 「21名に日本の暮らしを! 27万人署名」実行委員会 東京都板橋区大山東町24−16 APFS内 TEL 03-3964-8739 FAX 03-3579-0197 E-Mailapfs@ca.apc.org ※詳しい資料はお問い合わせください。以下のホームページでもご覧になれます。 http://www.jca.apc.org/apfs/index.html http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8018/ 滞在期間を超過した外国人労働者が、「在留許可」を求め、入国管理局に出頭したというニュースを読んだ、私たちの友人であるマギーが、北区十条で警官に不当に連行され、人権侵害を受けた時のことを思いおこした(通信14号参照)。無法警官による外国人差別・人権侵害がまかり通るこの地で、働き暮らす外国人労働者・家族がどんなに生きにくいかは、想像に余りある。外国人差別・人権・生きる権利の問題として、私たちも積極的に関わっていきたい。署名にご協力ください。 |
1/4「ノー・レイプ、ノー・ベース!」首相官邸に行ってきました 命(ヌチ)どぅ宝(タカラ)ネットワーク 「命どぅ宝」は、琉球・沖縄の言葉です。それは人間の命だけでなく、自然の全ての命、そして、私たちが生み出す感動と歓びの命こそ何物にもかえがたい宝物という意味です。戦争と差別、軍隊と基地をなくしていくネットワークを、1995年9月に起きた沖縄の米兵による少女暴行事件の衝撃の中から、私たちは始めました。毎月4日に、首相官邸と米国大使館へ次の要求項目を実現するため署名提出行動を続けています。 米兵による女性・子どもへの性暴力・人権侵害を許さない
普通の署名は1回書いて終わりですが、何度でも署名し、提出行動を続けています。 昨夜「街」の新春第一弾行動として、命どぅ宝ネットワークの皆さんと一緒に、首相官邸・アメリカ大使館へ抗議に行ってきました。 「チャンプルー」午後4時、こどく館の元木さん、九州の讃岐さん、「街」から7人の計9人でいざ出陣。腹がへっては戦はできぬ、途中、新宿で沖縄そば・味噌ラーメンを食べて腹ごしらえ。午後5時半に集合場所の国会・衆議院面会所に到着。集合時間にはあと30分もある。仕事はじめの日なのか、入口は閉じられていた。仕方ないので、暗〜く、冷た〜い玄関階段の上に腰掛けた。 9人の変わった集団の登場に、早速、警備の赤坂署の私服刑事が道路の向こう側で様子をうかがい、無線で何やら話してる。しばらくして近づいてきて「どっから来たの? 何してるの?」なんて聞いてきた。「街」の連中は明るい人ばかりなので冗談ばかり言っていた。命どぅ宝ネットワークの人たちが一人二人と集まり出した。 国会の警備員たちもやってきて、ここは国会の敷地内だから、外に出てくれなんて言ってる。「時間があるから景気付けにライブをしよう」ということで、ヨッシーが唄い始めた。「総理へ」「人の喜びしるまでは」「俺は売れないロックンローラー」「明日」「粉々ベイビー」。ミヤちゃんが踊り出した。みんな手拍子をしながら体を動かしてる。少し体が温かくなった。次にSさんが三線を引きながら唄った。彼女は昼間、渋谷で一人で三線を弾きながら署名を集めてきたという。18人集まったので、太田さんが今日の行動の意義を話し意思一致。横断歩道を渡って、首相官邸の前に行った。30人ぐらいの警察官が行く手を阻んだ。しばらくして川上という警備主任が登場。「署名を提出しに来たので受け取ってほしい」と要求したが、ノラリクラリと国会答弁みたいに逃げる。「少女暴行事件についてどう思うのか?」と聞くと「遺憾です」なんて答える。太田さんの話では村山内閣やその後までは、中に入れてくれたが、自自公になってからは中に入れなくなったという。 埒があかないので、「歌を唄おう」と言ったら、「歌を唄ったら排除するぞ」なんてぬかした。構わずにヨッシーがギターを出して唄い出した。アリちゃんもギターを持って続く。 「総理へ」(作詞・作曲 ヨッシー)・・・「♪ 人にやさしい政治だって、何度も何度も言ったじゃありませんか、総理。土地強制収用なんて人にやさしくないんと違いますか、総理。米軍基地がどうしても必要ならば、その訳を僕にでもわかるように、説明してください、納得させてください、総理、あなたの口から。狭い沖縄に75%もの基地を押しつけて平和な国だとほざいている日本人なんて、最低ですよ、くそったれ、俺もその一人、不公平きわまりない、この状況をなんとかしてください、総理・・・」 「そうだ!!」「その通り!!」暗い首相官邸の前にヨッシー&アリちゃんの歌声と民衆の怒りの声が響き渡った。 次はアメリカ大使館へ移動。首相官邸では、結局署名を受け取らなかったけど、アメリカ大使館の日本人警備員は署名を受け取り話も伝えると言った。システムが違うと、こうもちがうもんかなぁ。今度は、Sさんが三線を弾きながら唄った。仕事を終えて帰る大使館員が門前でのライブに聞き耳を立てていた。最後に総理府に行って、首相官邸で受け取らなかった書名を提出。それから国会の門前に移動して、総括集会。恒例の泡盛、ウッチン茶を飲みながら、30分ほど寒い中で熱い話をして解散。 残った15人で四谷の「つぼ八」へ移動しての2次会。下はアリちゃんから、上は72才のおばあちゃん。自己紹介をしながら、今年の闘いの抱負を語ったのであります。とってもいい交流会でした。 なおも飲み足りない人たちは、「チャンプルー」へ。途中、電車の中に知り合いの作業所の職員がいたので、彼女も誘って、夜が更けるまでトーク。あー、楽しい一日でありました。 2000年を迎えて/山本真理 みんなちがって 20世紀最後の年2000年がやってきました。私たち「精神病」者にとっては20世紀は精神医学による弾圧の世紀でもありました。いま精神医療は地域での強制医療制度強化、強制入院制度の強化、電気ショックや精神外科手術の再評価と強制へと急激に変化しています。 目を転じれば、死刑執行の日常化、脳死臓器移植の強行、組織犯罪対策法や国民総背番号化、国家権力による管理は強化され、それは私たちの生命にまでおよんでいます。この国は「違いを認めあい、共に生きる」社会に向かうどころか、「いささかの違いをも暴き出し、排除し、抹殺する」社会へと急速な勢いで向かっております。まさに一元的な価値へと「束ねていく」、言葉の原義としてのファシズムの時代と言えましょう。 社会復帰、ノーマライゼション、地域精神医療、そうしたかけ声が「精神病」者の分断と排除そして「精神病」者への徹底管理につながるのか、あるいは私たち「精神病」者の望む共生の社会の向かうのか、まさに私たち「精神病」者自身にかかっています。 「精神病」者をこれ以上殺されないために、そして21世紀を生き延びるために、いま目の前にいる一人一人の「精神病」者仲間と共に今年も歩んでいきたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。 2000年1月1日 全国「精神病」者集団窓口係 山本真理 |
新年 おめでとう ございます。今年も よろしく お願いします。 元日の夕方、「ハウス街」に皆が集まって、第一弾の新年会と、2日に8か月の研修を終えて九州に就職のために旅立つ、自由広場の「くまさん」ことハセぴーのお別れ会をしました。年末に九州から来て一緒に年末・年始を過ごした讃岐さんや、ようこさんのお母さんと一緒に北九州「街」を作ろうよ、なんて話で盛り上がりました。同時期、東京・下町患者会「新松橋亭同人」は新年会で大いに酔っているようでした。京都の前進友の会に電話で新年のご挨拶。いろいろな人達が集まって、こちらも盛り上がっているようでした。「街」の広報副部長・横浜の中島さんもお邪魔してるとのこと。 2日。12時頃に出発するハセぴーの見送り小ライブを「チャンプルー」でやりました。ヨッシーとアリちゃんがミニ・ライブをしました。最後にハセぴーがヨッシーの「総理へ」」を熱唱しました。武蔵関駅・改札口で最後のお別れ。「行ってらっしゃい!」「ここが実家だから、いつでも戻っておいで!」。ハセぴーは、いつものように謙虚に出発していきました。短いあいだだったけど、ハセぴー、本当にありがとう! 3日、箱根駅伝を見ながら、相変わらずグタグダしています。明日の4日、「ノー・レイプ、ノー・ベイス」首相官邸とアメリカ大使館に抗議に行くのが今年の「街」の第一弾行動になります。午後4時、「チャンプルー」に集まってから出発します。ヨッシーもアリちゃんも首相官邸の前で唄う予定だよーっ! |
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