オープンスペース街&心の広場
2000年10月上旬 

9月Aへ 10月の下旬分

10/15(日) コンサートのリハーサル
 オープンしてすぐに、目黒の「心の叫びコンサート」で沖縄料理店・チャンプルーズの唄を聴いた人が、友達と一緒に来ました。福祉関係にたずさわっている人たちです。
 
 ヨッシー・ジン君・ユッ君の3人が揃った沖縄料理店チャンプルーズ、タンバリンは「街」のテンカメさん。腰痛にもめげず15日のハンセン病集会でのリハーサルをしました。

 リハーサル・ライブの後で、セイちゃんの今後について、テンカメさん、ヨツシー、常連のはるか・かなたさんたちと話し合いました。さすが苦労してきたはるかさんのアドバイス的確でした。とても勉強になったなぁー。また、宜しく。

 今日は午後から、沖縄料理店・チャンプルーズは、唄ってきます。会場警備もするヨッシーは朝早く出かけました。ジン君・ユッ君もリハーサルのために10時に出発。

「国のあやまちをただす! 10.15のつどい」PART・2 いま、なぜハンセン病裁判か?  
 日 時 10月15日(日)午後1時30分から4時30分、
 場 所  東京・千代田区公会堂 (地下鉄「九段下」駅下車、徒歩2分)。資料代 500円

 出番は4時過ぎで2曲です。最後はシーサーズのカチャーシーで〆るみたい。それから大急ぎで、電車を乗り継いで多摩の立川まで行って、反戦平和コンサートで唄います。チュー母子を含めると総勢10人ぐらいになりそう。

 というわけで今日の「サンデー夕食会」はお休みです。今日は沖縄・名護の「ジュゴンの家」もオープン。沖縄中から沢山の人たちが来て、お祝いをしてくれるみたいです。楽しみだなぁ。 


10/14(土) スリランカ総選挙でJVPの議席10倍
  みなさん、こんにちは。
 10・10スリランカ総選挙で人民解放戦線JVPは大きな勝利を獲得しました。
 71年の蜂起と虐殺、80年代末における大虐殺以降、JVPとしては最初の総選挙でした。前回の94年の総選挙では、別組織の形での獄中から立候補で1名の国会議員(ガラッパチさん)が誕生しました。
 今回は、選挙戦をめぐる虐殺、放火などの弾圧、はななだしい不正選挙にもかかわ らず、人民解放戦線JVPは国会に10議席を獲得しました。現・人民連合政府が過半数割れし、対抗する二大政党の一翼=統一国民党は大幅に議席を減らしました。

 選挙情報は、引き続きJS-Netニュースでお伝えします。
 関心のあるかたはドロップ・イン下さい。 では、また。  津村 洋 Hiroshi Tsumura ****************************************************************

*******************************************

 
三線教室の感想のぶえ
 昨日(11日)は、ありがとうございました。本当に楽しかったです

・・・初めは、「私なんか突然行って、大丈夫なのかなあ・・・」とか、
「話せるかなあ・・・」とか。。。かなり 緊張してました。
とりあえずお店まで行って、入れなかったら帰ろうかな・・・って思ってたんですけど、
まあ入ってみたら、いつのまにか三線が弾けるようになってましたね。ビックリ。

 ハネやんさん、イメージ通りでした。お店は少しイメージ違っていましたが。

 三線を実際やってみると、弾きながら歌うっていうことが、
どんなに大変かがわかりますよね。ムズカシ〜!

 んー、12月に発表会ですよね・・・キビシイですよー。
ピアノと全然違うから、音がとりにくい!
でも練習して、  うまくなりたいから、がんばろっと!  

 奥サマにも、よろしくお伝えください。これからもよろしくお願いします!!!


10/13(金)ヨッシーの新曲

 11日、ヨッシーが前日に出来たばかりの 新曲を披露してくれました。スローバラードの曲で心に響きます。

   「なぜ沖縄に・・・」

なぜ沖縄に米軍基地がある  世界最強の暴力団 
アメリカの軍隊  朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、 みんな沖縄から
飛び立った ああ 罪のない人々を殺すために
飛び立った ああ 未来あるアメリカの若者たちが死んだ

僕はと言えば 高度経済成長まっただ中に生まれ
何不自由なく されども生き苦しさを感じながら育った
この豊かさが多くの人々の犠牲の上になりたってるなんて
つゆ知らず Woo Woo

わけもわからず競争社会にのみ込まれ
ギターを手にして ささやかな抵抗を始めた
今僕らは少しずつわかり始めた
軍隊は僕らを守るためにあるんじゃないって
もうこれ以上だまされちゃいけない
権力者のために 殺すのも殺されるのもいやだ

今、沖縄の辺野古に新たな軍事基地が作られようとしてる
心ある人々は 声を上げてください
沖縄に 世界中どこにも軍隊はいらないって
未来の子供たちのために 暴力による搾取を止めさせよう
決して無理な話じゃないさ 多くの人々が平和を望むなら

「想像してごらん」 ジョンは唄った・・・ 

 *************************************************

「チャンプルー」三線教室、復活
  「街」のホームページを見て、三線を習いたいという女性がいたので、「チャンプルー」で、三線教室を復活させました。先生は月2回ほど、カーミーズの亀谷さんを予定してます。初心者には則子さんが担当。早速、11日、第1回三線教室がはじまりました。今後は、トミー&チューも参加します。

 *************************************************
 早ピー、係長になる
 11日、早ピーが成田から3時間かけて「チャンプルー」に来てくれました。嬉しそうに名刺を出した。

  OO食品(株) 成田工場 製造課 係長 早ピー。

 ホームレスになって「街」に身を寄せてから1年余、異例のスピード出世。美味しそうに生ビールを7杯も飲んで、「チャンプルー」の売上に協力 (゚o゚) 「ジュゴンの家」の会員にもなってくれました m(__)m


10/12(木) 速報 ついに、ようやく、IUCNで決議をかちとりました。
5(00/10/10付)
10月10日、PM8:50(アンマン時間、日本時間11日AM3:50)以下の勧告が決議されました。<アンマン現地発・編集部勝井> 【第2回世界自然保護会議決議(ヨルダン・アンマン、2000年10月4〜11日)「沖縄島およびその周辺のジュゴン、ノグチゲラ、ヤンバルクイナの保全」】  

  ジュゴン保護勧告
【第2回世界自然保護会議決議(ヨルダン・アンマン、2000年10月4〜11日)「沖縄島およびその周辺のジュゴン、ノグチゲラ、ヤンバルクイナの保全」】  

  ジュゴンは世界的に見て絶滅のおそれのある種であり(危急種VU A1 cd、IUCN ▲2000)、沖縄島周辺の地域個体群もまた、1970年以来過去30年間沖縄島沿岸部で記録されているに過ぎず、絶滅を危惧されていること(絶滅危惧種CR D1またはCR C2b 日本哺乳類学会 ▲1997)、またジュゴンがアメリカの「種の保存法」の対象としてあげられていることに注目し;

  さらに、年間を通じてジュゴンの生息が確認される地域は、現在沖縄中北部の東海岸のみであり、この地域が沖縄のジュゴンの保全にきわめて重要であること、またこの孤立した生息地の面積は小さく、生息するジュゴンの数も少ないことに注目し;

  米国海兵隊の軍事空港建設候補地には、ジュゴン生息域の中心部またはこの海域沿岸(現普天間飛行場の移設地)が含まれていることを認識し;

  この空港の建設がこの地域で行われた場合、ジュゴンの重要な休息とえさ場である辺野古沿岸域の珊瑚礁及び海草場が破壊される危険があり、この小さな地域個体群の生存に重大な脅威を与える可能性があることを懸念し;

  建設計画が、ジュゴンの個体群が生存のために依存している珊瑚礁や海草場を含む、陸と沿岸の動植物の生息域に対して与えうる影響を鑑定するために、環境影響アセスメントを自発的に行うとの最近の日本政府の決定を是認し;

  沖縄島北部の山原(やんばる)の亜熱帯林は、ノグチゲラ(近絶滅種CR、IUCN ▲2000)、ヤンバルクイナ(絶滅危惧種EN、IUCN ▲2000)をはじめとする、国際的に注目されている多くの固有種・固有亜種が生息し、それゆえ生物多様性の保全のために特にとりわけ重要な地域であることに注目し;

  山原(やんばる)におけるこれらの固有種・固有亜種の多くが、ダム建設、林道建設、森林伐採、移入種の進入などがもたらす生息環境の悪化のために、その生存を脅かされていることを懸念し;

  民間人の開発や立ち入りが禁止されている米軍演習場(米国海兵隊密林戦闘訓練センター)が、野生生物の避難場所の役割を果たしてきたことに注目し;

  米軍演習場の半分が近い将来日本に返還される決定がなされ、日本政府がこの地域を森林生態系保護地域および国立公園に指定する可能性があることを歓迎し;

  米国海兵隊の管轄下に残る地域における、軍用機のための7か所のヘリパッドとそれらを結ぶ道路の建設が、残された最も重要な自然林地域において固有種の生息環境の悪化をもたらす危険があることを懸念し;

  さらに、この地域で頻繁に行われる軍事訓練が、ノグチゲラやヤンバルクイナなどの希少種にとって害となり、その絶滅のおそれを一層たかめることを懸念し;

 世界自然保護会議は、その第2回会議(ヨルダン国アンマン 2000年10月4―11日)において:
(1)日本国政府に対し、以下の点を要請する:  
 (a)ジュゴン生息域やその周辺に於ける軍事施設の建設に関する自発的環境影響アセスメントを、可能な限り早急に完遂すること;
 (b)ジュゴン個体群のさならる減少を阻止し、その数の回復をはかるための保全対策を可能な限り速やかに実行すること;
 (c)山原(やんばる)の生物多様性と、絶減を危惧されている種、およびジュゴンの地域個体群を保全する計画を可能な限り早急に作成し、これらの種とその生息地の詳細な調査を行うこと;
 (d)山原(やんばる)を世界遺産候補地として指名することを考慮すること;

(2)米国政府に対し、日本政府の依頼に従って、日米共同で自発的環境影響アスメントに取り組むことを要請する

(3)日米両国政府に対し、以下の点を要請する:
 (a)自発的環境影響アセスメントの結果を考慮に入れ、その結果をもとに、ジュゴン個体群の存続を確保するための適切な施策を講じること; 
 (b)上記1(c)でふれた調査結果を考慮に入れ、懸案となっている基地施設および演習計画の環境に対する影響に関するアセスメントを行い、さらにその評価に基づいて、ノグチゲラとヤンバルクイナの生存を確実にするための適切な保護手段をとること。         (*仮訳)
---------------------------------------------------------------------
在留特別許可一斉行動速報
 NO.20 

 APFSの筑波です。最新の速報をお送りします。この速報はメールで嘆願書にご賛同をいただいたかたなどにBCCでお送りしているものです。
=====
  2000年10月10日 ・シンポジウム「在留特別許可一斉行動からアムネスティへ」開催
 
9月20日、日本弁護士会館2階の「クレオ」にて、シンポジウム「在留特別許可一斉行動からアムネスティへ/東京・神戸交流集会〜25万1千人の超過滞在外国人合法 化の可能性〜」を開催しました。これは昨年9月1日に東京入国管理局に在留特別許可を求め集団出頭した「在留特別許可一斉行動」から9月でちょうど丸1年にあたることを記念すると同時に、昨年11月に大阪入国管理局神戸支局に出頭したペルー人一家を支援するNGO神戸外国人ネットワークとの交流を目的に弁護団を中心に開催したものです。在特一斉行動で得た成果を25万1千人いる超過滞在者の合法化の可能性への糸口とするためには何が必要かを、九州産業大学助教授の近藤敦先生の基調講演や弁護団からの報告などを中心に法的な面で考える機会となりました。

 この日は5時までの予定だった法務省前行動が長引いてしまい、一部のスタッフの 到着の遅れから、40分近く遅れての開催となってしまいました。また、外国人問題に反対する数名のグループから、パネラーの発言中にヤジやあからさまな妨害発言が幾度となく繰り返されたため、シンポジウムの進行に支障がきたされ、会場に集まったかたがた並びに出席者の皆さまにはご迷惑をおかけしたことをこの場をお借りして心より申し上げます。

 ビルマ人Mさんの仮放免不許可処分取り消し訴訟報告
 一家3人で在留特別許可を求めたものの2月に不許可となり、茨城県牛久市の東日本入国センターに収容されたままのビルマ国籍Mさんの仮放免許可が6月8日に不許可となったのはすでにお伝えした通りです。在留特別許可一斉行動弁護団ではこの処分を不服とし、東日本入国センターの所長を相手取り、水戸地裁に「仮放免不許可処分取り消し訴訟」を起こしました。その第1回公判が10月4日、1時30分から開かれ、APFSからは10人余りが、弁護団からは村田弁護士、児玉弁護士、生田弁護士、西 岡弁護士、北村弁護士の5人が駆けつけました。この日は第1回目であるため、担当の児玉弁護士から「Mさんの仮放免不許可処分が不当であること」「父親を長期間に渡っての収容することは、入管が父親を人質にとっていることに等しく、人道上問題があること」などをまとめた陳述書を読み上げた後に閉廷となりました。

 入管の仮放免不許可処分の取り消しを求める訴訟も初めてなら、東日本入国管理セ ンター所長を相手取る裁判も初めてのことです。もし、この訴えが認められれば、入管政策に一石を投じる結果にもつながります。今後の公判の行方にご注目ください。
=============================
 11月22日、午前10時30分〜東京地裁にて、2月に不許可になった一家族、2個人の公判が開かれます。また、仮放免不許可処分取り消し訴訟の次回公判は12月6日午後3時より、水戸地裁です。ぜひ、傍聴に来てください!

ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(A.P.F.S.)  東京都板橋区大山東町16-9 伊澤ビル1F ・03-3964-8739 ・03-3579-0197 
http://www.jca.apc.org/apfs/index.html  mailto:http://www1.plala.or.jp/akahane/apfs@jca.apc.org 


  ☆★ - 国のあやまちをただす! 10.15のつどい -  ☆★
             
PART・2 いま、なぜハンセン病裁判か? 
 皆さん、ぜひ参加してください! あらたな運動の流れをつくり上げていきましょう!!!   

日 時 
10月15日(日)午後1時30分から4時30分、
場 所  東京・
千代田区公会堂 (地下鉄「九段下」駅下車、徒歩2分)。資料代 500円

プログラム
 
 国賠裁判の原告のアピール、
 講演 落合恵子さん(作家) 藤野豊さん(日本近現代史研究者) 成田稔さん(国立療養所多磨全生園名誉園長)                 全生園三線の会、シーサーズ、
沖縄料理店・チャンプルーズによる歌と演奏があります。
 連絡先:10.15集会実行委員会(実行委員会代表・松田優二、森元美代治/事務局長・小松雅彦)、
 支援する会事務局 ・&FAX 0424-93-9664 (事務局長・松崎功)
  
  
ハンセン病・国賠訴訟とは
  
1999年3月26日に東京地地方裁判所に提起された訴訟の名称は、「らい予防法人権侵害 謝罪・国家賠償請求訴訟」です。請求の内容は、新聞紙上への謝罪文の掲載、テレビ・ラジ オの政府広報番組で謝罪文を読み上げること、そして、原告1人につき1億1500万円の損害 賠償金を支払うこと、となっています。つまり、国家のあやまちを明確にし、名誉の回復と損害 賠償を求めることを目的とした訴訟です。今回の訴訟は、98年7月末に西日本の入所者が熊本地裁に起こした訴訟とほぼ同様のものであり、西日本の訴訟は6月2日の第5次提訴で原告 数149人となっています。東京地裁に提訴した31人と合わせると、全国で13の療養所、180人の原告となります。 (99年7月現在)
 また、去る4月8日には、全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協) の全国支部長会議において、国賠訴訟の支持が全会一致で決議され、今後この訴訟はさらに多くの原告が参加することが予想されます。弁護団は、公害・薬害訴訟や東電差別撤廃闘争訴訟などで活躍した人々で構成され、総勢44名となっています。


10/11(水) 名護「ジュゴンの家」 8.15オープン
 沖縄サミットが終わった7月末の沖縄料理店・チャンプルー街(まち)でのこと。「名護に家を借りよう!」「オープンは8月12日にしよう!」  「街」の方針は、いつも酒の席で決められてきた。

 8月9日、若者2人が沖縄へ飛び立った。僕たちの活動は、いつもそんな金もコネもない所から始まる。12日、名護・久志地区の赤瓦の家に居候する形で、第1期「ジュゴンの家」がオープンした。「小さく作って、大きく育てる」という「街」のやり方で。

 赤瓦の家で泡盛を飲みながら考えてみた。「さて、僕たちは名護へ何をしに来たんだろう?」と。

 「沖縄に来て半月。第1期『ジュゴンの家』〜第2期『ジュゴンの家』へ。そして『沖縄情報センター・街』構想などなど。この過程は、僕たちが沖縄で出来ること、沖縄の人たちと出会い・交流すること、そこで得た内容を東京に持ちかえり僕たちの日々の活動に活かすこと、できるだけ多くの人が東京から沖縄に来て日常的で・大量の交流を積み重ねることを模索し・試行錯誤する半月だった。僕たちができる事、それは『地域』ということに徹底的にこだわること。『連帯・共闘』を声高に叫ぶのではなく、地域の人たちの生活に根ざした『現実』から始める。それが『街』の精神・スタイルである。たとえどんなに小さくても、一つひとつ堅実で着実な前進をして行きたいという想いで一杯になった(「ジュゴンの家・日誌」8/30より・以下、「日誌」とする)。

 8月28日、東海岸の第1期「ジュゴンの家」を解消して、西海岸の第2期「ジュゴンの家」に引越した。

 当面は、若者組・年配組の2組を中心として「半月、東京で働き、半月、沖縄で動く、2組交代制」という態勢を作って、東京・沖縄半々の生活がスタートした。当然、「街」のスタッフは半減するが、この機会を僕たちの成長のチャンスに変えよう! 勿論、金は無い。経験的に言うと、無い時こそ良いアイデアが浮かぶもの。必要は発明の母だ!

 「9月23日午後5時、ハネやんたちは『コバルト荘』に到着。早速、先に来ていた陽子ちゃんのお母さんと、ジュゴンTシャツにレッドカードムーブメントの赤色グッズを付けて県庁前に駆けつけた・・・最後は、ジュゴン・オバァを中心に、周りに竹で作ったローソクを並べ、参加者全員が取り囲んで、ライトアップ・ショー『HOPE』。目を閉じると、同じ日、韓国で・フィリピンで・プエルトリコで・ハワイ・ワシントンで、基地のない・平和な世の中を祈り、集まっている光景がアリアリと見える様でした」(「日誌」9/24より)。

 「9.26(火) 岸本市長に『平和のプレゼント』20回目・名護市役所昼休みコンサート。市長にプレゼントする巨大なレッドカード。カードの真中上にある岸本人形は『街』で作ったものを縫い付けました。30人ぐらいで市長室に行く。岸本市長は逃げて出てこないので東恩納琢磨さんが市長の代理に迫る。成田さんが市長との現地での話し合いを迫る。渡具知さん、浦島さん、金城師匠も迫る。則子さんも国本衛さん(ハンセン病国家賠償原告)のハンカチを読み上げて迫る。平和のプレゼントを手渡した後、市長室横のテラスで『平和コンサート』をする。浦島悦子さんのリードで海勢頭豊さん作曲の『ザン(ジュゴン)の海』をみんなで合唱。金城繁師匠が『ならんさ、ヘリ基地の唄』などを三線を弾きながら唄う。名護教会の石川牧師が『平和の歌』をギターの弾き語りで唄う」(「日誌」9/27より)。

 僕たちの生活は、朝早く起きて名護漁港や本部の砂浜に行って釣りをし、月曜〜金曜日は二見以北十区の会の人たちの名護市役所行動に参加した後、本来の活動に戻る。

 「27日、名護市役所への行動の後、首里の『あごら』(「精神障害者」の共同作業所)に行く。所長の上地さんや、『あごら』のメンバーの人たちが温かく迎えてくれました。上地さんと石垣さんが『街』『チャンプルー』を見学したのは19〜21日。それから福島でのデイケア学会に行ったそうです。でも『街』の印象が一番と言ってました。帰って早速3時間あまり、『街』についての報告・討論会をしたそうで、そんな所に僕たちが行ったから、凄い迫力で迫ってきました。是非、『街』に見学に行きたいと言う女性メンバーもいましたよ。『あごら』は店の入口の部分を開放してリサイクルショップを始めるそうです。名護・首里・那覇を結ぶネットワークを作って、共同のリサイクルセンターができたらいいなぁ、と思いました」(「日誌」9/27より)。

 海の見える西海岸の「ジュゴンの家」のベランダで泡盛を飲みながら考えてみた。「確かに家は作ったけど、人が来ないなぁ」

 僕たちの東京での拠点は、「オープンスペース街」というリサイクルショップ。オープンスペース=地域の人たちに開かれた場。「やはり、そういう人が交流できる場がほしいなぁー」 

 10月2日、第3期「ジュゴンの家」の店舗契約をした。そこでリサイクルショップを始めることにした。リサイクルショップを「ジュゴンの家」とし、アパートを「ジュゴン・ハウス」という名に代えた。

 「那覇の『コバルト荘』に帰ってすぐに、娘のことで相談に乗ってほしいという母親が来ました。則子さん・ハネやんは2時間ぐらい話しました。娘さんが心の病いになって3年。ゆた・のろ・宗教など考えられるあらゆる民間療法を試してきたそうです。帰り際、お母さんはとても晴れ晴れとした顔をしていました。僕たちが沖縄で『ジュゴンの家』を始めるのは、こうした出会いを求めている面もありました。今度、お父さんや娘さんに会おうという話になりました」(「日誌」9/29より)。

 「市役所へ行った後、今日発足する『北部精神障害者地域生活支援センター・ウエーブ』の開所式に参加。名護市障害者関係団体協議会(身体・知的・精神の各施設の他、社会福祉協議会など14団体で構成)が要求し、農協の建物を再利用してオープンすることになった。ここには草木染めのTシャツなどを作っている『虹の橋作業所』が移転してくるほか、憩いの場・生活相談(緊急時は24時間対応)・地域交流など『北部地域で生活されている精神障害者の自立・社会参加と福祉の向上を目的としております』とパンフレットにある。

 名護市障害者関係団体協議会の固い団結は、縦割り行政による『棲み分け』政策を超えられない東京の活動と違って『バリアフリー』を実践している気がする。21世紀を迎える今、そうした柔軟でしなやかなネットワークが福祉にも、政治にも必要だと思う。会場には、今回の沖縄滞在で知り合った人が沢山来ていました。福祉の場で、ヘリ基地反対の場で。そして新しい出会いもありました。1週間ほどの滞在で、随分、多くの出会いがあったんだなぁ、とビックリ」(「日誌」10/3より)。

 悪性腫瘍で西洋医学から余命を告知された連れ合いの「余生をどう過ごすか?」という事を含みながら決まった今回の沖縄行きだったが、沖縄生活の中で彼女の身も心も、病から解放された。沖縄に来て2ケ月。10月15日「ジュゴンの家」がオープンする。そのリサイクルショップでの新しい出会いに胸がワクワクしている。
(「命どぅ宝通信」の原稿)

------------------------------------------------------------------------------------
アンマンだよりbS  (2000/10/09付け)
 本会議では、すでに決議案の採決が次々と行われています!

10月7日(土)夜の本会議で、大会日程のスケジュールが変更されました。日本では大会スケフール通りでしか進行しないでしょうが、さすが国際会議。状況に応じて日程は変更されるものなのです。変更は決議案に関して時間が要すると判断して、決議についての時間を多く取り入れています。

 変更は ・10/6,7の本会議では討論だけだったのが、採決まで行うこと。
       ・10/9(日)午前にも決議の討論、採決の日程を加えたこと が要点です。

その結果、次々と決議案が採択されています。

 決議案は、計画決議56本、保護決議29本、組織方針決議16本の101本が提出されました。 そのうち約20本近くの決議案で修正が出されています。そのうち、10/6の本会議で計画決議のうち27本が採択されました。 10/7の本会議では、組織決議のすべての討論、採決がされました。その中で、もう一度関係者による調整が必要、あるいは暫定的採決もありました。

 
本会議での討論は、事前の情報からは想像できなかったくらい、
自由に活発な意見が出されています。

 組織決議の内アラブ環境委員会の設置については11人が発言し、調整となりました。 順番に従えば、10/9の本会議で保護決議(ジュゴンはココ)の論議がされます。ジュゴン決議は4番目です。いよいよです。


10/10(火) チャンプルー・ライブ 
 
昨日の東京は、冷たい雨が降っていたので、外に行かずに、ずっと家の中でゴロゴロしていた。しかし日曜のライブは豪華版だった。

 午後7時、
森たかしさんhttp://www.mars.sphere.ne.jp/m-takashi/のオープニングで始まった。今、沖縄では彼の唄う「ティーダノミチ(てぃーだの道)」が流行っているという。JASの機内放送でもかかっているそうです。僕はいつも寄席番組を聴いてるので知らなかった。不思議なハスキーボイス、若い女性のフアンが何人か来てました。

 セブンスローズ、久々の登場。彼らにとっては2ヶ月ぶりだけど、前回はみんな沖縄に行っていたので、僕たちが聴くのは3ヶ月ぶりになった。1ステージ1時間ほどだったけど、ノリノリのライブを聴かせてくれました。

 あとは自由ライブ。
MICKがド迫力の唄を2曲披露。ヨッシーとユツ君の沖縄料理店・チャンプルーズが5曲、山梨県から来た二十歳の若者2人組ブラザー・フット(?)が、エレキとアコースティックギターのコンビで熱いライブ、最後はカボスのジュン君が18番の「ひとりごと」を熱唱して3時間半以上のサンデー夕食会・ライブが終りました。

 あとは例によって、深夜までの討論会。酔ったハネやんは「チャンプルー」の王様のベッドでご就寝・・・・


10/9(月) 「アンマンだより」 発信者:統一の旗新聞社・勝井健二さん
 (注)これは、日本からの参加団の公式報告ではありません。あくまで、上記発信者からの個人的なたよりですので、ご了解下さい。とはいえ、現地の様子の一部を伝えてくれる貴重なものだと思います。

 3(00/10/07付け)
     今晩(10/7)、加盟団体全員参加の本会議が開かれます。
     いよいよ正念場になってきました

 ・・・が 緊張を和らげるために、話題を転じてアンマンでの生活暮らしについて報告しましょう。 ここにも”アンマン・タイム”、”ヨルダン風テーゲー”がある!?
 
待たされることに耐えなければ暮らしていけない

 
大会会場と各ホテルにはシャトルバスが出ています。私たちは、遅れてはいけないと時間通りに待って乗り込みますが、このバスがなかなか発車しない。30-40分は待たされます。

 極めつけは、10/4、初日の夜8時に古代遺跡のローマ劇場でオープニングセレモニーが行われました。大会会場のバス発車予定は5時30分。早めに乗り込んだものの、30-40分待つ。それでも7時前にローマ劇場に到着。クイーンが歓迎挨拶をするので、厳重な警備と何回ものチェックを受けて劇場の中へ。最初は、とても味わえない雰囲気に浸っていたが、次第に「ところでいつ始まるの?」とみんなが疑問に。あまりうまくない楽団の演奏を聴くだけで、お腹がすくし、寒いし、トイレにも行けないし、眠たいし、一転して苦行に。予想通り(すでに予想できた)1時間以上待たされて、8時すぎオープンでした。

物の値段が何でこんなに違うの?

 大会会場に何カ所かフードステーションがありますが、わずか50メートルくらい離れただけの店で値段が違う。同じ店でも時間と人によって違う。
 レストランでも店によって驚くほどの違いです。どうなっているの?

2(00/10/06)付け
                もうとまらない!大会会場に
              沖縄・ジュゴン旋風が起こっている!!


 
大会2日目、午前中は後述の会議で、宣伝は夕方の数時間でしたが、間違いなくアンマンIUCN会議に沖縄ジュゴンの風が吹きまくっています。
 この日初めて、京都から参加した土屋さんが一人でエイサーを披露。「エイサーは一人でするものではないので、大変緊張した」という土屋さんですが、気合いの入ったエイサーがきっかけとなり、記念写真を撮りたいといか、ジュゴン笠をかぶらせて欲しいとか人気の的。

 とくに大好評はジュゴンバッヂ。大会を支える地元アンマンのスタッフ・ボランティアの間で大きな話題となり、「私もこれをほしい」と近寄ってきています。今では若いスタッフはほとんどジュゴンバッヂをつけています。

 訴えも浸透しています。今日のブースには「沖縄のジュゴンのひどい姿を見て、何かできることはないか」(サウジアラビア)、「日本政府あての署名をやっていないのか。やったら協力する」(ヨルダン)など、積極的に協力したいという人たちも現れました。おそらく、前日受け取った資料を読んで、理解したうえで来た人たちだろうと思われます。そこでブースでは、急きょ協力者名簿を作ることにしました。


   
           勧告実現へ、関係者調整会議が開かれ、
             派遣団全員が会議に出席・傍聴しました


 
IUCN事務局からの提案で、「ジュゴン」決議と「ヤンバルクイナ」決議を統合することになり、10月5日9時から12時まで、関係者による文案の調整会議が開かれました。

 出席は日本政府(外務省、環境庁)、米政府に、日本のNGO、米国のNGOと私たちで20人ほどの会議。調整会議は10月6日1時からもう一度開かれます。
 勧告実現へ、正念場の時を迎えています。


 
bP(00/10/05)付け
             大会初日で、ジュゴン新聞 800枚が世界の参加者に!
             ”ジュゴン論議”に花が咲く!
             
展示ブースと派遣団の宣伝行動に世界が注目

 まだ世界の参加者の全員が集まっていない初日でしたが、それでも展示ブースと受付、本会議場前のビラまきで800枚が手渡されました。

 瀬嵩青年会のエイサーの衣装の東恩納琢磨さんも、「これサムライ?」と言われることもありましたが、絶好調で「ハロー」「サンキュー」を連発しています。ビラを受け取った人たちが、広げて見ている姿があちこちで見られます。

              アンマンへの道のりは遠かったが,
              無事に47,392筆の署名とジュゴングッズを持ち込みました。


 
東京が10月3日の13時すぎ。アンマン到着が10月4日の夜中の3時半(日本時間10時半)。しかし、空港から会場への道のりも遠く、約27時間かけて署名、チラシ等を持ち込みました。初日はとにかく展示ブースづくり。場所はちょっと奥まったところですが、写真、パネルを掲示し、横断幕を取り付け、ジュゴングッズで飾り付けもしました。それに沖縄の衣装やジュゴンの乗ったクバ笠なども注目を集め、展示ブースの中では一番目立っています。 香村先生を先頭に、派遣団全員無事で元気です。 とりあえずのbPでした。


10/8(日) 「街」日誌の形式を変更しました m(__)m
 「日誌を、サクサク読みたい!!」というメールが来たので、これまでの1日分から、まとめて1ケ月分全部を読める方式に変更しました。そして、今年の7月分〜10月分まで、書きなおしてみましたが・・・大変な作業だったので、それ以上、さかのぼって書きかえることは止めます。それに1頁分が膨大な量なので、ホームページ作成ソフトがキリキリいってました。多分、写真の多い「ジュゴンの家・日誌」だと1ケ月分をまとめて作るのは無理かもしれない。1週間分が丁度いいかもね。

「チャンプルー」のこと
 沖縄から戻ってきて、数日がたった。真夏だった沖縄に比べて、東京はスッカリ秋色。今日などは靴下を履かないと寒いぐらいだ。勿論、Tシャツでは風邪を引いてしまうほど。
 
 金曜日の夜。ヒロミ&高木さんが「チャンプルー」デート。高木さん、なにやらジャケットを着こんでおめかし。常連の、はるか・かなたさん、さらにセイちゃんの高校時代の友達も「ハウス街」に一泊の予定で登場。すると先週来たというジャズ演奏をするイズミさん&タカさんがやって来た。「ライブをやらせてもらいたい」と言うので、演奏してもらった。
 「不屈の民」、ソプラノ・サックスとジャンベの音が店の中に鳴り響く。山谷闘争「やったら、やりかえせ」の故シノダさんを思い出した。荒ぶる魂、そんな演奏だった。ヒロミさんが感激。早速、「南大泉でライブをしてくれない」などと出演交渉をしてた。音が大きいから、防音装置のない「チャンプルー」ではキツイなぁ。でも沖縄料理店・チャンプルーズの街頭ライブだったら、演奏に厚みをまして面白いかも (^o^)

 土曜日、辻さんと一緒にやっていたギタリスト・李衛玉さんを知ってるという若者がやって来た。彼自身、バンドを組んでいるという。李さんは11/18に石神井高校で演奏会をやることが決まった。帰りにでも寄ってもらって、名演奏を聴きたいね。

 辻バンドのビデオを探していたけど一本も無かった。でもボランティア用に作った「街」も入っているビデオ「スタンド・バイ・ミー」の最後で彼らが演奏していたのを思い出した。やはり、李さんのギターは。いいなぁーっ。お客さんも帰ったので、ビデオ鑑賞会となった。
 「一人一芸大会」 久良木さんが生きていた。懐かしい顔が沢山。みんな、今何をしてるんだろう。この時が、金本さんのデビュー・ステージだったという。照れながらビデオを見てました。

 もっと古いビデオが出てきた。1994年秋、練馬・勤労福祉会館でやった「差別について考える『差別まつり』」のビデオだ。練馬人権センター、在日コリアン文化研究会、外国人登録法を考える練馬の会、練馬区介護人派遣センター、外国人労働者、障害者プロレス・ドッグレッグスなどに混じって、「オープンスペース街」&バチルスも出演。

 若いハネやんが、ギターを持ってエプロン姿で真中に立っている、タケちゃんもギター、サトちゃんはデシタル・ホーン、ミッちゃんは歌詞の朗読、初代マッちゃんもいる、ミヤちゃんはこの日のために創作した振り付けで「花」を踊っている。則子さん、仲地さん、ミワちゃんはコーラス。みんな、今に比べて圧倒的に若〜い。ハネやん&タケちゃんが「日本なんて」を歌った後で、バチルスの登場。ジージャンを着たヨッシーがハーモニカを持って立っている。リードギターはマイケルこと東江、ベースはカッちゃん、後に「チャンプルー」初代シェフになった・徳ちゃんも後ろの方でギターを弾いている。バチルス、「岐路」を唄う。ヨッシーも若い。唄い方に、ちょっと忌野清志郎が入っている。「ラブレター」の後で、全員で「すべての人の心に花を」を唄っていた。

 この日、20人近くで、この集会に参加した。でも改めて考えてみると、「街」の方向性や
沖縄料理店・チャンプルーズの原型が、すでにこの時からスタートしているのが分かる。「街」って昔から、過激だったんだな。

今日の「チャンプルー」は、二ヵ月ぶりにセブンスローズのライブがある。あと、森たかしさん(沖縄)も出演。楽しみだなぁ。

   ----------------------------------------------------------------------------------------------------
10/15沖縄ヘリ基地反対闘争を考える大討論集会
 みなさん、こんにちは。集会案内です。
 ご関心をお持ちの皆さん、お誘いのうえご出席いただければ幸です。  なお、会場周辺地図はサイトをご参照下さい。


10/15沖縄ヘリ基地反対闘争を考える大討論集会の案内「新・名護サポーター」発足記念
 
サミットを越えて、沖縄ヘリ基地反対闘争を考える大討論集会  

 かねてご案内のとおり、2年半にわたって「名護市民投票裁判」支援を行ってきた 「名護市民原告団を支援するサポーター(東京)を発展的に改組、「新・名護サポーター」として発足するにさいし、G8サミットを越えて、当面「やや長期化」の様相 も示している名護の「ヘリ基地反対闘争」をめぐって、幅広い討論を行うべく下記の集会を開きます。ご関心をお持ちの皆さん、ご友人方お誘いのうえご出席をお願いします。

と き:10月15日(日) 午後2時〜4時半
ところ:文京シビックホール

主な発言者:
 新崎 盛暉さん(沖縄大学教授)
 安次富 浩さん(ヘリ基地反対協代表委員)
 いいだももさん(評論家)
 上原 成信さん(沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック)

主催:新・名護サポーター(事務局長 大野明雄)
協賛:沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック ほか
連絡先:〒164-0003 東京都中野区東中野1-41-5/文学会館・Tel: 03-3366-4650 Fax: 03-3227-3657     
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/ 
   
http://www1.plala.or.jp/akahane/nago@xj8.so-net.ne.jp

文京シビックホール 
会場案内 住所 文京区春日1−16−21  
会場周辺地図 電話  03(3812)7111    
交通期間 営団地下鉄丸の内線・南北線 後楽園駅  徒歩1分
       都営地下鉄三田線・12号線(建設中) 春日駅   徒歩1分

        
JR総武線/水道橋駅  徒歩8分

Hiroshi Tsumura
****************************************************************
JS-Net: Japan - Sri Lanka Solidarity Information Network
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/jsnet/index.html
TPCC-NNS: Tokyo Peace Cyber Circle & New Nago Supporter
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/
Associe 21 International Committee & Media Staff
http://www03.u-page.so-net.ne.jp/yd5/associe/
Communist Association Future (COM-Future)
http://www.ne.jp/asahi/com/f/
http://www1.plala.or.jp/akahane/com@f.email.ne.jp
IEG: "INTERNATIONALISM"(KOKUSAISHUGI) EDITING GROUP
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg%20ieg@ngy1.1st.ne.jp ****************************************************************
pyonpyon URL:
http://www.bekkoame.ne.jp/~pyonpyon
E-mail:
http://www1.plala.or.jp/akahane/pyonpyon@cap.bekkoame.ne.jp


10/7(土) 沖縄・名護若者隊、その後
 5日に沖縄へ行った若者隊+年配の3人のその後の報告(「ジュゴンの家・日誌」)がないと心配してる皆さんに。彼らは無事に沖縄に着きましたが・・・なんと・ところが、愛車オンボロ「ジュゴンの号」が、ついに・とうとうクラッシュしてしまい、那覇に足ドメされている模様。7日に那覇で集会で「沖縄料理店・チャンプルーズ」が唄うので、それが終ってから名護に向かうのではないかと予想してます。

国立の「反戦辻々流し」
  「街」のみなさんお元気ですか。
 昨日は(9/25)国立の「反戦辻々流し」に初めて参加してきました。 いちおう「チャンプルーズ」の一員として、ヨッシーとゆっくんの隣で歌わしてもらったんですが、初めて路上で歌ったもので、最初はものすごく緊張してしまいまし た。私がへぼいコーラスをしたもので、二人の気合いをそいでしまったのではないか・・・と心配しています。

 私が二人の隣で見ていた限り、通りかかる人が一番興味を 持って聞いてくれていたのが「チャンプルーズ」の演奏だったような気がします。夫、学の証言によると、若者三人組が感心して聞いていて、「街」ニュースをもらっ て帰っていったそうです。  

イベント終了時に、通りがかりの青年の話しを聞いていたら、いつの間にかヨッ シーとゆっくんが帰ってしまっていて、さらに、イベントの後かたづけを手伝ったあと、「辻々流し」のメンバーと「ロージナ茶房」で反省会(休憩)をしていたら6時 を過ぎてしまっていました。

 赤羽さんにも「チャンプルー街」で会沢さんのライブがあるよと誘われていたので すが、結局昨日は行けなくて残念でした。何だかわたしたち二人ともすっごく疲れてしまっていてねえ。慣れないことをしたからからなあ。今日「心の広場」で会沢さん のライブの話しを読んで、「ああいっとけばよかったなあ」とつくづくおもいました。今度また機会があったら是非会沢さんの歌を聴きたいです。  とにかく昨日はお疲れさまでした。一緒に歌わせてもらってありがとう。

・・・と ヨッシー、ゆっくんにお伝え下さい。 それではまた。

 Sachiko 


10/6(金) JS-Net News 現地訪問報
 
以下の文を、掲載してください。
***********************************
JS-Net News 現地訪問報告を開始。 みなさん、こんにちは。
シドニー・オリンピックも終了しましたが・・・。ところで、スリランカに唯一のメダルをもたらした選手をご存知でしょうか? 28日に陸上・女子200mで銅メダルを獲得したスサンティカ・ジャヤシンハ。スリランカでは今や国民的英雄ですが、人民解放戦線JVPのシンパです。日本では報道されてませんが、彼女はメダル獲得後の記者会見で、SEXを迫った政府閣僚のセクハラを公然と断罪しています。「スポーツ大臣のセクハラがなければ私は金だった」と。激しく政府批判を断罪する姿と日本のメダル騒ぎの落差が際立ちます。
 いよいよスリランカの10・10総選挙が目前に迫ってきました。9月末には再びJVPの活動家が虐殺されました。選挙をめぐるテロルと不正を抑止する国際的なキャンペーンがさらに求められています。 JS-Net:日本−スリランカ連帯情報ネットワークでは日刊のニューズに、スリランカ現地訪問による生々しい報告MAILを連載し始めました。関心のある皆さんの注視を。以下、9月のニューズの目次だけ転載します。
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ でご覧下さい。
では、また。 津村 洋 Hiroshi Tsumura

No.1 01日 JS-Netの旅立ち 趣旨と共同ルール Ver.3
No.2 02日 スリランカ当局にたいするサイバー・アクションを!
No.3 03日 排外主義を許さず、諸民族の共生・友愛・連帯を! 人民解放戦線JVPの9・3ビラ
No.4 04日 JS−Net と国際キャンペーンに賛同・協力を! JS−Net の9・3ビラ
No.5 05日 社会主義学生同盟(スリランカ)から日本の全学友へのアピール
No.6 06日9・3集会でのJVPの発言+関連新聞報道(日本語・英語)
No.7 07日 人民連合政府、JVPを攻撃/2000年総選挙:JVPにたいする暴力(英語)
No.8 08日 2000年総選挙ニュース:9月4日、8月31日(英語)
No.9 09日 人民戦線の活動家虐殺される/選挙戦をめぐる暴力の歴史経過(英語)
No.10 10日 総選挙における左翼の統一/選挙での新左翼戦線(英語)
No.11 11日 人民解放戦線JVPは来るべき国会でキャスティングボードを握るだろう(英語)
No.12 12日 自由で公正な選挙のための人民行動PAFFREL、人民連合政府PAを非難(英語)
No.13 13日 2000年総選挙ニュース:JVPの5ヵ年計画 選挙キャンペーン 9月7日 (英語)
No.14 14日 2000年総選挙ニュース:JVPへの暴力 9月12日(英語)
No.15 15日 2000年総選挙ニュース:JVPの選挙集会 政府の選挙介入 他 9月14日(英語)
No.16 16日 富士山麓での米軍実弾射撃に反対する9・15集会への連帯のメッセージ
No.17 17日 総選挙における左翼の統一に関する質問への新社会党NSSPからの返事(英語)
No.18 18日 【転載】許せない入管・警察の弾圧 8月18日、スリランカ大使館抗議行動を闘う
No.19 19日 イスラエル、スリランカに重要な情報、武器を提供(英語)
No.20 20日 2000年総選挙ニュース:JVPへの暴力 9月19日(英語)
No.21 21日 人民解放戦線JVP、支持者たちへの襲撃を実行した人民連合政府を告発(英語)
No.22 22日 スリランカ全学連・大学教職員、選挙をめぐる暴力・不正と闘う(英語)
No.23 23日 2000年総選挙ニュース:JVPへの暴力 9月21日(英語)
No.24 24日 スリランカの人権団体、不正投票をめぐる争いで切りきり舞い(英語)
No.25 25日 スリランカ・ムスリム会議の指導者=アシュロフについて 新左翼戦線 (英語)
No.26 26日 「統一国民党も人民連合も恐れおののいている」と人民解放戦線JVP語る(英語)
No.27 27日 警察によるデモへの弾圧と人民解放戦線JVPメンバーの逮捕(英語)
No.28 28日 マータラで負傷した3人の人民解放戦線JVPメンバーの一人死亡(英語)
No.29 29日 JVPは執政大統領制を廃止する、とナンダナ・グナティラケ語る(英語)
No.30 30日 スリランカ総選挙:現地からの報告1 9月28日〜29日朝

あなたの知らないアジアフェア
 10月8日にHAPPY HOUSE(国際結婚をしたカップルの当事者組織です)主催で恒例のアジアフェアを開催します。各国料理の屋台や、民芸品、民族衣装のバザー、民族音楽のコンサートなどなどから、なぜか?  APFSのボランティア説明会まで、もりだくさんの内容でにぎにぎしく開催する予定です。お近くにお住まいのかた、興味のあるかた、どうぞ、足を運んでください。

第7回 あなたの知らないアジアフェア 〜ASIAN FAIR '2000〜  
 あなたの知らないアジアフェアは国際結婚をしたカップルが活動するHAPPY HOUSEが、1994年から開催しているアジアの文化や生活の様子を紹介するお祭りです。祖国に親しみを持ってもらいたいとの思いで、今年はバングラデシュ、パキスタン、イラン、フィリピン、ビルマ、ネパールの衣、食、音楽をお届けします。

2000年10月8日(日) 11:00〜16:30 於・板橋区都税事務所前広場(東武東上線大山駅から徒歩5分/都営三田線板橋区役所前駅から徒歩5分)小雨決行/入場無料

<主な催し>
●アジアの屋台コーナー 祖国のご自慢料理を皆さまに! メンバーたちが腕を競い合います。ベンガル料理、パキスタン料理、フィリピン料理、ビルマ料理、イラン料理等が並ぶ予定です。食材、味どれをとっても本場モン! アジアのどこかの街角にあるごちゃ〜とした屋台に来た気分で、味わってください。メニューは当日のお楽しみです!! インド料理、ベンガル料理、パキスタン料理に不可欠な各種スパイスも廉価にておわけいたします。
●民芸品の即売コーナー  バングラデシュ、ネパール、ビルマなどから直輸入の民芸品、アクセサリーを販売しています。ちょっとくらい買いすぎてもOK!のお買い得価格が勢揃いです。
●民族衣装のバザー  サリーやサロアカミズ(インドやバングラデシュ、パキスタンの女性が着るパンツスーツ)などのバザーです。日本で買うとちょっと高めで、手を出しにくかったかたにこそおすすめです。
●車いすの試乗コーナー  NPO法人KIKIWEBのメンバーによる車いすの試乗コーナー。 高齢者のかた、体の不自由な方に車いすや電動カーを無料で貸し出してくれます。買い物や散歩を楽しんでください。
●ボランティア説明会 APFSでは、ただいまボランティアを大募集中です。フェアの会場で午後1時〜3時までボランティア希望のかたのための説明会を行います。病院の付き添い、パソコンの入力作業、英語の翻訳などができるかた、大歓迎です。興味のあるかたは、ボランティアコーナーへどうぞ!(詳細はapfs@jca.apc.orgまでおたずねください)
●インド映画のビデオ上映会  お好きなかたにはたまらないインド映画の数々を上映します。
●民族音楽のコンサート  在日外国人によるアジア各国の音楽、踊りをご紹介します。どれも本格派揃いですので、きっとご満足いただけると思います。 

プログラム
12:00〜12:20   APFSバンド    
12:30〜13:00   フィリピンマザーズグループ    
13:10〜13:30   ビルマの歌と踊り    
14:00〜14:30   民族音楽のファッションショー   
14:40〜15:00   ショロルピーカルチャーアカデミー   
15:20〜15:50   岡田ユキ ミニライブ   
16:00〜16:20   ウットロン

主催・HAPPY HOUSE
共催・APFS /フィリピンマザーズグループ
協賛・遊座大山商店街
協力・NPO法人 KIKIWEB
助成・板橋区国際交流協会

詳細は、http://www.jca.apc.org/apfs/をごらんください。 (写真が多くてちょっと重くて時間がかかるのが恐縮ですが)催し物は都合により一部変更する場合があります。あらかじめご了承ください。
問い合わせ先・APFS(ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY)
         HAPPY HOUSE 東京都板橋区大山東町26-9 伊澤ビル1階 電話 03-3964-8739/FAX 03-3579-0197 mailto:
http://www1.plala.or.jp/akahane/apfs@jca.apc.org
http://www.jca.apc.org/apfs/ --------------------------------------------------------------------------------
10/5(木)ハネやん&則子さん、帰京  
 

 
昨日の夜の飛行機でハネ&則子さんは沖縄から戻ってきました。今日5日、交代でアリ&ようこちゃんが沖縄に行って、「ジュゴンの家」の開店準備をします。と言う事は、「チャンプルー」はオールド・チャンプルーになります。


          ---------------------------- -------------------------------------------------
「ほっとスペース八王子」の宣伝
 
こんばんは。 また、グッチーと飲みに行きます。 さて、今回は「ほっとスペース八王子」の宣伝です。

 「ほっとスペース八王子」恒例の「語ろう会」今年も行ないます。八王子市報にも掲載されているように、「ほっとスペース八王子」恒例の「語ろう会」を行ないます。八王子市報に掲載されてから早速問い合わせが相次いでいます。「健常者」からの問い合わせでは
<>近所の「精神病者」が怖いのだが、どう付き合えば良いのだろうか。
<>家族に「精神病者」がいるのだが、私たちとは孤立して一人生活している。家族もあまり触れ合わないようにしているが、これで良いのかと思いつつそのままだ。等などです。 みなさんも、是非「精神病者」のことを理解してもらえるように参加してください。 また、自分自身の問題もあるので、病院の中での生活のあり方、退院に向けての心構え、退院後の地域での生活のあり方、仕事に就くことが大事なことなのか、などいろいろと話し合いましょう。

日  時: 第1回9月9日
      第2回9月23日
       第3回10月14日
       第4回10月28日   いずれも午後2時から
開催場所:「ほっとスペース八王子」 会 費:なし
テーマ:第1回=生活、将来について。仕事について
    第2回=家族・兄弟の関係について ・BR>     第3回=病院・薬の問題
    第4回=周囲との関係。退院した人とどう付き合うか。


10/4(水) 火曜日の「チャンプルー」

 まかないで夕食を食べたあと、ミヤちゃんとようこで、ニュース発送の準備。途中から、セイちゃん・アリちゃんが手伝い、お客さんが来る前に終る。

 今日のお客さんのトップバッターは、ブライアン森さん。いつものように生ビールを飲み干し、一時たって食事。今日は久しぶりに、ヨッシー、ユッ君、アリちゃん、仁くん、4人揃っての沖縄料理店・チャンプルーズの演奏だ。

 いつもりように、9時半を過ぎて、看板の電気を消して、みんなで飲みしゃべりタイムに入ろうとした時に、2人お客さんが入って来た。彼らは一時お酒を飲んでいた。音楽が大好きな人たちだった。もう少しよく話しをしてみると、サックスとジャンベの奏者だった。突然だけど、やってもらうことにした。ジャンベはタカさん、関町在住。サックスはイズミさん、烏山在住。2人は10年前インドで知り合って以来の友達だ。楽器を手にすると、表情が変わった。とても生き生きしている。イズミさんは途中で、ティンサグの花や、ヘイ・ジュードを織り交ぜながら演奏した。夜も遅いので、音は控えめにしてもらった。

 その後で、彼らを囲んで話をした。イズミさんは知念良吉さんや、花&フィノミナンがライブをやっている「かけこみ亭」(国立)でライブをやっていて。「チャンプルー」に貼ってある知念さんのポスターを見て、この前会って今度一緒に演奏しようと話しをしました。世の中は狭い。タカさんとイズミさんは、近くで演奏できる店を探していたらしく、「チャンプルー」でライブをやりたいと言うので、今週か来週でももう一度来て演奏する事になった。


10/3(火)「代替施設協議会」県、名護市は参加拒否を(まよなかしんや

(2000.09.04 沖縄タイムスの記事より)  八月二十五日、日本政府は沖縄県民の新基地建設反対の声を無視し、普天間基地の移設に伴う代替基地の建設工法などを検討する「代替施設協議会」を設置した。席上、中川秀直宮房長官は「十五年使用期限問題は協議会の場で取り上げるものではない」と表明した。 稲嶺恵一知事も岸本建男名護市長も「十五年使用期限」の実現を「要求」しながら、結局は「十五年使用期限」問題が棚上げされたまま名護市東海岸域への新基地建設の基本計画を協議することを容認した。 私は「十五年使用期限」問題は稲嶺知事の公約であり、また、岸本市長の基地受け入れの前提条件であるので「十五年使用期限」問題が棚上げにされるのであれば、県も名護市も「協議会」への参加を次回からはきっぱりと拒否すべきであると思う。 ところで今、沖縄の基地問題で重要なのは「十五年使用期限」を認めるかどうかの問題ではない。  一九九六年九月の県民投票や九七年十二月の名護市民投票で、普天間基地の無条件全面返還と名護への新基地建設反対などの「県内移設」反対の意思表示が明確に出された。 それにもかかわらず、日米両政府のSACO(日米特別行動委員会)合意にもない「十五年使用期限」問題も持ち出し、あたかも新基地建設が県民に認められ、次は工法と使用期限であるかのように基地の「県内移設」容認を既成事実化する動きが問題なのである。 この間、コーエン国防長官をはじめ米側が繰り返し表明している通り、沖縄の新基地に使用期限を付ける考えがないことは、米軍の「四十年使用、二百年耐用」計画からしても明白である。つまり、稲嶺知事や岸本市長の「十五年使用論」は県民を基地と共存させるための県民だましの「空論」である。 従って稲嶺知事や岸本市長が真に二十一世紀の平和な沖縄を実現したいのであれば、きっぱりとSACO合意に反対し基地の「県内移設」受け入れを直ちに撤回することである。 私たち沖縄人は、去る大戦で基地・軍隊は住民を守るものではないことを身をもって体験した。そしてこの五十五年間、米軍基地の重圧を受けてきた。もうこれ以上、私たち沖縄の基地が世界の人々を抑圧するためにあるという現実にたえられないのである。 だからこそ、県内新聞の世論調査でも明らかになったように、沖縄県民の八割近くが、沖縄サミットの前日に行われた七月二十日の二万七千人の人間の鎖が嘉手納基地を包囲したことに共鳴したのである。 去る六月の朝鮮半島における南北首脳会談があったように今、世界は戦争も基地もない平和に向かって変わりつつある。ヤマト政府の「アメとムチ」に振り回されず着実に前進しよう。世界の草の根の平和運動と連帯し、沖縄の反戦反基地闘争を再構築しよう。(浦添市西原一二八六ノ二一、フォークシンガー=投稿)


10/2(月「熱意冷め政府 無関心・無責任」「SACO知らず主管も分からず」「衆参予算委 答弁に窮し審議一時中断も」 (2000.10.01 朝日新聞)
 
沖縄の米軍基地問題に対する政府の関心の無さが、国会審議で浮き彫りになっている。九月二十八日の衆院予算委員会で、森喜郎首相が日米特別行動委員会(SACO)最終報告の内容をよく知らないことがあきらかになったが、翌日の参院予算委では、米軍普天間飛行場の代替施設協議会をめぐって政府側が答弁に窮し、審議が一時中断。九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)から二ヵ月、政府の熱意は冷める一方のようだ。
 普天間代替施設で沖縄県側が求めている「十五年の使用期限」の問題は、だれがどこで結論を出すのか。照屋寛徳氏(社民党・護憲連合)の追求に、政府側は「米国と議論しなければならない」(河野洋平外相)と繰り返すばかり。一方で、日米間で協議する普天間実施委員会と、政府と沖縄県側とが協議する代替施設協議会のいずれの場でも、十五年問題をただちに取り上げる考えはないとした。
 代替施設協議会に関して聞かれた虎島和夫防衛庁長官は、「主管は私じゃない」と答弁。すぐに「私はメンバーで、沖縄の意見を適切に表現して結論を得る努力をするのが職務」と言い直したが、照屋氏が「ではどこが主管か」と聞くと政府側は即答できず、審議が中断。記者会見で席を外していた中川秀直官房長官が戻り、「主宰は官房長官ということになっている」と収めたが、十五年問題は「関係閣僚で協議して対応していく」と述べるにとどまった。


10/1(日MICK定例ライブ

 
今日は、毎月第一日曜日の、定例MICKライブ&サンデー夕食会がありました。今日のMICKは上機嫌、ビールをたくさん飲んで、「ビールを飲みながら歌を唄えるなんて、サイコーだなぁ。」と一言。みやちゃん、みっちゃんもおどった。ライブの後は、みんなでいろんな事を語り明かしました。


9月Aへ 10月の下旬分
 
日誌の頁に戻ります
 トップの頁に戻ります
inserted by FC2 system