オープンスペース街・日誌

2000年3月@

2月 3月A
日誌に戻る
「街」のトップの頁に戻ります

3/15
ようこちゃんのお母さん上京

 土曜日から昨日まで、北九州からようこちゃんのお母さんが「ハウス街」に滞在しました。*以前、彼女は「ステイ街」に泊まって という名文を書いてます。

 初日の土曜日は、カーミーズ(亀谷さんご夫妻)が登場。音楽に合わせてノリノリのダンスを踊った。かつてハネやんが「女・無法松」と名付けた通りの名キャラを披露してくれました。その後は飲んで・語りあう爽やかな一時を共有しました。


3/14
 則子さんの近況

 4日に退院してから10日あまりがたちました。脱毛傾向にありますが、体調は最大のストレス原因であった子宮筋腫・出血がなくなったので、いたって順調そのものです。

 『チャンプルー』で昼食をとってからリサイクルショップ『街』にいき、2時間ほど過ごして一端帰宅。体を休めてから、また6時頃に『チャンプルー』で夕食をとって、ライブを楽しんだり・みんなと話を2、3時間して地域での生活を満喫して「ハウス街」に戻るという日々を送っています。では本人からのコメントを・・・

 則子「悪性腫瘍との戦闘宣言」以来の登場になりますね。

>則子さん、凄いなぁーーー >凄いよなぁーーーーー凄い >則子さん、凄いわ。(伝言板3月11日)

えばっち、ご心配かけています。でも私は、えばっちに「凄い」といわれるほどの事をしているという実感はありません。私は今までと同じ生き方をしているだけであって、「病」によって自分の生き方が変わるはすはないと思います。逆に、病を得る事によって私の生き方を確信しつつあるというのが最近の心境です。

 また23日から1週間程度の入院になります。多分6月3日のイベントで再会できると思いますので、楽しみにしています。

「花&フィノミナン」の花さんのこと

 

この地図は、6.3 すべての命のチャンプラリズムに出演するバンド「花&フィノミナン」のボーカル・花さん(ボブ・マーリーみたいな男性)が住んでいる場所を書いてくれたものです。

 3/7日に開かれた実行委員会に、彼とアクさんとかおるさんが来てくれました。とっても素敵な人たちです。

 花さんは多摩川の河原で暮しています。流木を拾ってきてドラム缶風呂を沸かすそうです。

 彼の歌を聴いているととても元気になれます。そして彼と話していると「こんなに自由な生き方もあるんだなぁ」と嬉しくなってきます。

 「どうして河原に住んでるの?」と聞いたら、

 「自然が好きだから、気持ち良くノビノビと暮せるからかなぁ」と答えました。

 6/3のイベントに向けて週1回のペースで実行委員会を開いています。参加する皆が手作りのイベントを楽しんでいます。先日は知念良吉さんの言葉「真っ白な何も分からない状態からスタートするのがいいんです。過程を知ること、楽しむことですね」(チュウ) 

 私たちは、この6.3 すべての命のチャンプラリズムに関わる事で変わっていきたいし、いろんなものを越えて、今つくっていきたいです。生きてて良かったと感じられる時代を! (ようこ


3/13
 息子の卒業式
 県立高校なので、心配していたのですが、昨日の予行演習ではなにもなかったのでほっとしていたところ、突然、本番でだましうちのように「日の丸、君が代」が強行されました。

一瞬の生徒達のどよめき、戸惑い、ほとんどの生徒達は歌いませんでした。その後、卒業証書を受け取るクラス代表の男子の頭はなぜか「アフロヘアー」(かつら)、背景の大きな日の丸との落差が不思議な光景でした。

校長が送る言葉の中で、どんな美辞麗句を飾っても、日の丸を背景に、君が代をだまし討ちしたその後では、完全に生徒達はしらけ、もう決して大人の言葉を信じないでしょう。私のまわりに、たぶん生徒の兄なのでしょうわ回男の人が一人座ったままでした。

だから、たった一人ではなかったけれど、また覚悟はしていたけれど、なんとも後味の悪い式でした。式後、数人の女生徒が「あれはひどいよ!だまし討ちだよ」と涙ぐんでいました。こころなしかいつもは陽気な生徒達の表情は硬く、せっかくの社会への門出が決して晴れやかなものではなくなってしまいました。

写真を撮ることもなく、夕方もどってきた息子は吐き捨てるように「汚すぎるよ!」といい、でもあの場であえて座る勇気のある生徒はどこにもいないと語りました。

先生達も「日の丸、君が代の強制に反対します」という新聞広告を出したり、式場受付けでリーフレットを置いたり、一生懸命なのでしょうが、生徒の気持ちに対し対しあまりに無力に思えます。もちろんなにもできなかった自分への自戒をこめて。

せめて目立つようにと一番派手な、ショッキングピンクのパンツスーツをつけて座り続けることしかできませんでした。生徒達の「アフロヘアー」がなくなった時、全てが雪崩れ打って、いつか来た道を再びもどることになるのでしょうか。3月2日


3/12

 気にかけてくださった皆さまへ

 ありがとうございました。私たち、沖縄世文庫が放火によって奪われたことの衝撃、そのことへの怒りを共に受けとめてくださったことに感謝しています。

 本日に至るまで寄せられる多くの方からの励ましと多額のカンパに一同、感動と感謝の中にあります。

 平和を願い、未来を築こうと生きる皆さまの熱情が私たちへの援助となったことを、しっかり受けとめ、この支援に恥ない行動を積み重ねていこうと思っています。

 今回の悪質な犯罪に負けず、元気にと思いながらも真黒にすすけ、天井は焼けおち、廃墟と化した事務所での懐中電灯をたよりの連日の片づけは心身共に着かれるものでした。

 放火という生命を奪いかねない行為を許すわけには行きません。今は焼失をまぬかれた資料の保管場所の確保、家主に対する早急な復旧要求とが課題の一つになっています。

 3月3日、片づけも一段落ということで再建アララガマ(負けないぞ)コンサート開き、百人を越す方々と想い、エネルギーを分かち合いました。。4日はいつもどおり署名提出行動、5日もいつもどおりの有楽町での情宣行動をしました。4・28コンサートに向けて通常の歩みを失わないように頑張っているところです。

 それにしてもやはり、日々集まり、作業した場を失うというのは、大きな打撃であると改めて感じます。でも「それでも、私たちは元気です」。

 お礼を申しあげるのが大変遅くなりました、お許しください。

 沖縄世文庫再建の日、皆様と楽しく出会うことを楽しみに、心を失うことなく前進していきます。生命が大事にされる、武器・軍隊のない世界、すべての人の人権が等しく尊重される御万人(うまんちゅ)の世界に向って共に歩んで行きましょう。

   2000.3.9

         沖縄世文庫一同

 富田さん、原稿ありがとうございました。私も沖縄に行った時の事を思い返しました。
 それから「街」のみなさん、カンパやコンサートに来てくれてありがとう。今はいそがしくなってしまってそちらに行く事がなかなかできませんが、近いうちに行きたいと思っています。オープンスペース「街」のみなさんのもよろしく伝えて下さい。
 こんな事(沖縄世文庫の放火)がおこってしまい、大変な事もあるけど私たちは変わらず、くじけないで、元気です。みんなで力をあわせてやっていきます。

 「街」のみなさんともいっしょにやっていきたいと思っているのでよろしくお願いします。これからも共に。 
  井上(アリちゃんのお兄さん風の)


3/11
えばっちからのメール。

そうかぁーーーーみんなで「じんじんじん」の大合唱かぁーー
凄いよなぁーーーーーーー
火かけられて、それで、みんなで集まって「じんじんじん」の大合唱かぁーー
えばっちも、唄いたかったなぁーーーーーーー

則子さん、凄いなぁーーー
凄いよなぁーーーーー凄い
則子さん、凄いわ。

みんな、凄いよなぁーーーー

よし、えばっちも、原稿書きやるぞぉーーーーー

みんな、元気でねぇーーーーー

            えばっちより

前進友の会・やすらぎの里


3/10
沖縄世(ゆ)文庫再建アララガマコンサートに行ってきました/チューやん
週刊「街ニュース」388号(2000.3.7)

 2月13日の「沖縄世文庫が放火された」というニュースに「街」の私達も強い憤りをかんじました。沖縄世文庫というのは1987年、沖縄研究会の事務所としてスタートして以来、93年からはエスニックコンサート実行委員会、95年からは命どぅ宝ネットワークの連絡事務所として、多くの人達に使われてきた所です。そこが放火され、中にあった貴重な本、写真、ビデオテープ等、多くの記録、資料が、火とすすと消化の水で被害を受けてしまいました。

 その沖縄世文庫再建を応援する人達が集まり、3月3日、十条で「アララガマコンサート」が行われました。ヨッシー、トミタ、タケちゃん、安西さん、チュー、こどく館の元木さんでみんなからのカンパを持って行きました。

 会場に着くと命どぅ宝ネットワークを応援する人達が続々と集まりはじめていました。中には自作の「タケジ・ヨウコ(命どぅ宝の人達の名前です)だんこ応援!」と書いた紙を安全ピンで胸と背中にはりつけたおじいちゃんもいました。会場入り口付近には、火災現場から焼けずに残っていたので持って来たという泡盛が置いてあり、入場する人達に配られていました。かけこみ亭のぼけまるさん差し入れの「元気おにぎり」なんていうのもありました。いろんな人達が思い思いにカンパをして入場していきます。

 いよいよコンサートが始まりました。三線そ弾く飛び入りの方が終わると(あ〜、ヨッシーもギター持ってくればよかったネ)、知念良吉さんです。知念さんはCDの録音中にもかかわらずかけつけてくれたそうです。(知念さんはじめ、今日の出演者のみなさんは何と「出演料無し」なのです。何てスゴイ人達なのでしょう。どれだけ、沖縄世文庫が大切な「場」なのか、思いが伝わってきます。)、もうこの頃には会場はほぼ満席。熱気でムンムンしています。あっという間に知念さんの20分が終わり。

 次は李政美さん。このコンサートを開こう、と、音響まで手配してくれたぢょんみさんの熱意がこのコンサートの時の後押しとなったそうです。力強くしなやかであたたかい歌声に私達はノリノリです。

そして次は自費で沖縄からかけつけてくれた佐渡山豊さん。佐渡山さんは以前一度、沖縄世文庫に泊まったことがあるそうです。「夜中にガサゴゾ音がするので見たらねずみとゴキブリがいたよ。こんなキタナイ事務所があるのかナ、というような所だった。でも、そこに火をつけたやつの心はもっとキタナイね」と言っていました。3月3日のひな祭りにかわいい桃ちゃん(娘さん)を沖縄に残して来てくれました。佐渡山さんの歌にあつくあつく会場が盛り上がります。

 そして、4人目は寿(ことぶき)。「火をつけた人は愛が足りない。さびしい人だね。誰にも愛されていないと思うことほどさびしいことはないものね」と言っていました。パワーあふれる歌に思わず踊りだす人達がたくさん。

 最後は出演者みんな一緒に知念さんのギターに合わせて「じんじん」の大合唱。途中からぞれぞれが替え歌で思いを歌い、太田武二さん「じんじん・・・放火に負けるなじんじん・・」ぢょんみさんは「日の丸君が代いらないよじんじん・・・」観客から飛び入りの「基地はいらないじんじん・・・」、踊り、歌い、熱気あふれる会場の気持ちや思いがしっかり固まるフィナーレでした。

 そして島袋陽子さんの「一人で元気だよ、と言っていても限界があるけれどそこにだれかが加わって支え合うと「元気」にパワーが入る。さらにまた誰かが加わる、ますます元気があふれてくる。今日はそれが実感できました。」

 急いで会場を片づけて皆で焼け跡を見に出発しました。途中、夜道で知念さんが「こういう犯罪に負けるのではなく、かえって皆の心が強く結集するキッカケとすることの方が大切」と語ってくれました。焼けてまだ焦げ臭い現場を見ながらほんとうにくやしく思いました。天井はすっかり焼け落ち、すすけたコンクリートの枠だけになった事務所でした。でも、この日集まった多くの人達や、また、来たくても来られなかったもっと多くの人達の支えがあって、今までよりひとまわり大きく発展するパワーアップした命どぅ宝ネットワーク、エスニックコンサート、沖縄研究会がきっと展開していくでしょう。


「命どぅ宝支援アララガマコンサート」直子

 知念さんの唄が心にしみた。李政美さんの心が伝わってきた。佐渡山さんの唄をきいて泣けてきた。寿の唄ですごく元気になった。会場のみんなの思いがこんなに一つになるライブを私ははじめて体験した。ここにいたすべての人や命どぅ宝を支援して影から支えてこれなかったすべての人の気持ちが放火などという卑劣きわまりない行為などに負けないぞというところで一致していた。

 “火事になって大変だったネ”が“火事になったからこそこんなことができたんだ”“みんなが思いを一つにできたんだ”にすんなり変わっていた。

 火事になったことで、みんなの心に火がついて、熱く熱くもえあがることができた夜でした。

「アララガマコンサートの感想」 タケちゃん

 知念さんの話、李政美さんのキーの高さ、寿さんの沖縄の歌、佐渡山豊さんの話も面白かった。

 当日の夜みんなとっても興奮して「チャンプルー」に帰ってきました。お金や物でつくられたコンサートでなく、人間のあつーい思いで作られたコンサート・・・そこにいた人達は、心が震えたでしょう! 読んでいてその感動が伝わります。「負けるな、命どぅ宝ネットワーク!」 「街」「チャンプルー」での支援カンパは64.000円集まりました。ありがとうございました! ようこ


3/9
西山さんからの手紙

 先週は三日間もおじゃまさせていただきありがとうございました。
まだ、当分は暇だろうと思っていましたら、今週に入り、早速新しい仕事の準備が始まり、連日出かけることになりました。慣れない事ばかりで無駄なエネルギーや神経を使い、帰宅するとグッタリしてしまいます。
たった三日いっただけなのに「街」のほうがずっと楽しかったと、皆様の顔を思い浮かべています。

 「あ−、また行きたい」そんな思いにさせられる「街」は不思議な所です。改めて則子さんはじめスタッフの方々、働いている皆さんの築き上げてきたものの大きさを感じています

3月3日   西山 あつ子


ジュゴン保護基金にご協力下さい

 緑したたる山々と紺碧の海に抱かれた私たちのやんばるは、世界でも有数の多様な生物種を育む生態系を持つ地域として知られています。中でも東海岸一帯は、国際的保護動物であり日本の天然記念物にも指定されているジュゴンの重要な生息海域であることが明らかになりました。
 ジュゴンは古来、人魚のモデルとして、また神の使いとも言われ、私たちの暮らしと関わりを持ってきましたが、その生態はほとんど知られないまま、絶滅の危機にさらされています。
 この東海岸が米軍普天間飛行場の代替基地の最有力候補地とされて以来、しばしば姿を見せるジュゴンは「海を汚さないで!生活環境を破壊しないで!」と訴えているかのようです。それは、私たちの未来への無言の警告であるとも言えるでしょう。
 ジュゴンやサンゴが生息し水性生物が共生する健全な海を守り、次世代に引き継いでいくことは現代に生きる私たちの責任であり、未来の人類に計り知れない恩恵をもたらすと確信します。
 私たちはジュゴンを保護し生態系を保全するとともに、自然との共生思想にもとづく地域おこしをめざし、平和な21世紀を創造するために、去る10月15日、地域から『ジュゴン保護基金』を立ち上げました。
 地域の財産、世界の宝を守るため、多くの皆様の賛同・ご協力をお願い致します。  


この基金は
ジュゴンの生態調査と海域、陸域の環境調査の費用等を目的にしています。

一口 1,000円 何口でも。

郵便振替口座
名称 ジュゴン保護基金
01780-5-90603
「ジュゴン保護基金」

「街」前での青空ライブ

 今日は朝からセブンスローズの稲川さんが「街」に研修にきました。
なんと、ミーティングが始まる10分前に来て・・・優秀です!!!
朝のミーティングで自己紹介をして、早速店出し!タンスを一人でかかえたり、たのもしい!
磨きのプロのまことさんと洗濯機を磨いたり、ちゅーと引き取りに行き、「バックができなーい」というちゅーに代わって運転したり、今まで体験した事ないような!?素敵な体験をしたようです。
私たちも楽しませていただきました!

 さー、待ってました!本領発揮!!「街」の前で、則子さん、「街」のみんな、ボランティアさん、お客さんを観客に青空ライブ!!道を挟んで皆で聞きました。作家の川田文子さんは写真を撮る為にカメラを取に帰りました!(笑)

 「ヒューマン」では一郎さんが踊り、「カントリーソング」と続き「陽が射せばいい」を歌っているときは曇っていた空の下「今、陽が射してきました!」というハネやんの言葉にみんな大笑い!

「ダーリン」ではようこも飛び入りで歌いました。稲川さんと観客の間をトラックが通っても、人が通っても、バイクが通っても、気にせず、みんなで盛り上がりました。

 隣の薬局のおねーさん!?も外に出てきてみてました。最後はこれしかない!「太陽の心」!「♪あなたはひとりじゃない」をみんなで歌い、チャンプルーでのセブンスローズライブと同じ様に則子さんが
前に出て、みんなへ向けてメッセージ!
「わたしは病院じゃなく、ここ「街」で生きていきます!」
そのあともまた「あなたはひとりじゃない」を大合唱!
今日もほんとに愉しかった!!!!!
生きる事って心がこんなに揺れる事なんだなぁ!(ようこ)

みんなの感想

セブンスローズって7人かと思ってました。(まこと)

えーっと、チャンプルーと同じ雰囲気が「街」で味わえた。太陽の心の「あなたはひとりじゃないこーなー」の則子さんの仕切りが前と同じでうれしかった。(しんまつ・もろ)

CD予約します!
久し振りに則子さんにあえてうれしかった!(ボランティア・河井)

「あなたはひとりじゃない」(これに万感の想いをこめて!)ボランティア・ちーちゃん

則子さんみてると、がんばらなきゃって思います(あおぽん)

則子さんの人徳ですね!言葉も、生き方も、すごいです!
見習いましょう!(ボランティア・皆川)

顔を見て、安心しました!(ボランティア・田中)

たのしかった(ぺちゃんこ)

ぼくは悔いのないように生きる!!!(あり)

外は寒かったけれど、歌っている稲川さんも、聴いている私達みんなの心も、あつい青空ライブでした!(ちゅー)


3/8
介護保険制度の根底的批判の文書/高見元博 

 わたしのホームページのほうに介護保険制度の根底的批判の文書を書きました。かなりの長文ですが、お読みいただけたらと思います。

 介護保険制度は、わたしたち「障害者」の生きる権利を奪うものです。ホームページのほうには、福祉は労働者階級の勝ち取ってきた当然の権利であることをかなり具体的に書いています。

 また、介護保険制度が、私たちの勝ち取ったものとしてある憲法25条に違反したものであることも書いています。

 既成指導部の屈服と転向を乗り越えて、介護保険反対闘争から、「障害者」解放運動と労働運動の新たなる指導部の建設をしていきたいと思っているところです。

 連合は、介護保険制度の4月実施を積極的に要求し、65歳以上の保険料徴収の延期に介護保険推進の立場から反対している始末です。

 運動の構築のために書いた文書です。ぜひお読みいただきご意見、ご批判を寄せてください。

http://homepage1.nifty.com/takamitousou/

高見元博 


 ハセぴーからの手紙

 「街」で楽しく頑張っている皆さん、そして則子さんへ

 則子さんの長い長いお手紙、そして週刊「街ニュース」と皆様の励ましのメッセージありがとうございました。皆さんの生き生きした姿を感じられ、とても励みになりました。

 「街ニュース」を読んだ印象では、今年は沖縄に相当値からを入れていくみたいですね。6/3の上野でのコンサート、楽しみにしています。インターネットのホームページを読んだところ、洋平君のグループホーム、ヨッシーとユッ君がするみたいですね。「ハウス街」で楽しく洋平君と遊んでいた頃をなつかしく感じました。

 則子さんも入院奮闘記や手紙を読んだ感じでは元気そうでなによりです。2ケ月間、病院で仕事そして感じていることなのですが、ポジティブ・シンキングが治療の反応性や入院期間に少なからず関係しているように思われます。本当に病気を治そうとする患者さんは早く良くなって帰っていきますね。

 僕はそれなりに、なんとかやっています。沖縄料理が懐かしく感じられる今日このごろです。では皆さんお元気で・・・。

                      3/5 ハセぴー 


3/7
悪性腫瘍との戦闘宣言/則子
 週刊「街ニュース」第386号(2000年3月5日発行)

 1月12日、昭和病院に入院して以来、1月21日の左脳の脳腫瘍手術、31日の子宮筋腫手 術、そして2月24日、関東逓信病院でのガンマーナイフによる右脳の放射線治療という3度の手術を乗り越えて、3月4日退院してきました。

 しかし手術後の病理検査の結果、私の病が「平滑筋肉腫」と判明しました。これは悪性の子宮筋腫で、医者の話では「余命、最大2年」ということでした。そして2月18日から「化学療法」(抗がん剤の投与)を受けています。今後、4度の入退院を繰り返しながら、転移・再発の防止のための治療を続けて行くことになります。再入院の際には化学療法による白血球の減少と感染症を防ぐために、勝手ながら面会を控えさせてもらうかもしれませんが、ご了承して下さい。

    「余命2年」、しかし私は「不幸」な存在なのでしょうか? 

 おととしの11月に、ハネやんの叔母さんがガンで亡くなりました。彼女は社交ダンスに生涯を賭けてきた人で「私は踊りながら死にたい」と常々言っており、6年前、ガンの告知を受け、そのことを誰にも知らせず死の直前まで踊り続け、入院後もお弟子さんにベッドの中からダンスを教えていました。72歳の人生を彼女はダンスとともに生き、そして死んでいきました。彼女の生き方を見て、私もそう生きたい!と思いました。

 人間の命には限りがあります。私が思ってきた事は、「1日でも悔いのないよう生きたい」と言う事です。私が「街」をやってなかったら今みたいな生き方はできませんでした。「街」での、メンバー、ボランティアさん、地域の人との出会いが私の生き方を大きく変えてくれました。また、私が病になることで、「街」の一人ひとりが生まれ変わって、私がいない分を担ってくれています。そのことに感謝しています。だから私は安心して闘病生活に入ることができました。

 私は今、とても幸せです!「街」で生きているからです。私の生きる場所は病院ではなく、地域の中・「街」なのだということを実感してます。これからもよろしくお願いします!

                      3月5日    赤羽 則子


3/6

『チャンプルー』のサンデー夕食会

 5日の日曜日は久しぶりにノンビリできました。

 「ハウス街」の朝。8時頃に、昨夜「ハウス街」に泊まっていたこどく館の元木さんが帰宅。早起きの元治は例によって朝の散歩。今日は歩いて5分の所にある早稲田大学の野球場に行って練習風景の見物。さすが元高校野球部だけあってウンチクが凄い。『街』の日曜日、午前中から働いているのはミヤちゃん。則子さんが退院してこれまでと違うパターンになった。9時頃に「ハウス街」にミヤちゃん登場。みんなで朝食を食べてから、『街』に行ってシャッターを開けて愛犬マックとお散歩。日曜日のマックの散歩係はミヤちゃんと決まっている。

 お昼、「ステイ街」で一人暮しを始めて一ケ月たったサッちゃん・改名フタ子さんが『チャンプルー』で昼食。今日は、ようこチャンが日曜定番のオムレツと昨夜の残りの手羽・大根を作りました。先週までだと、その後で病院に面会に行ってたが則子さんが退院したので夕方まで解散。来週からは日曜日、午後4時『チャンプルー』に集まる方式に変更しました。ミヤちゃん・ハネやんは則子さんのいる「ハウス街」へ行って、琵琶湖マラソンをみたり、昼寝をしながらノンビリ休日を楽しみました。

 午後4時、さぁサンデー夕食会の準備。日曜恒例のカレーは昨晩から仕込んであります。カレーは一晩寝かせると美味しいね。3日のアララガマ・コンサートの感想文を持ってチューやんが登場。元治、ミヤちゃん、アリちゃん、ようこちゃんも登場。キャベツのおかか和え、大根と貝割れのサラダ、豆腐の中華ステーキなど料理も完成。

 Оさんがお父さんと一緒に、ペチャンコも来た所でサンデー夕食会の開始。『街』を中退した大ちゃん(来週から『街』に復帰したいとか)、『街』を卒業して近くのコンビニで働いている松ちゃん。松ちゃんは給料を貯めて中古の自動車を買いました。「みんなで飲んでください」と泡盛のボトルを入れました。「偉い、松ちゃん」

 ぺちゃんこさんの息子さんが登場、近くの病院のデイケアに通っているヒロシさんが先週に続いて参加。座頭市を唄わせると天下一品です。今日ライブをやるMickが愛妻サト子さん、愛娘・凛(りん)ちゃんを伴って来ました。


則子  皆さん、応援ありがとうございました。2ケ月ぶりのサンデー夕食会の参加です。久しぶりの世間の味を堪能していいよライブの始まりです。うわさにはきいていたMickのライブがはじまりました。みやちゃんが踊り、みんながそれぞれの鳴り物をならし、手拍子、指笛、やはりこれが『チャンプルー』だ。ここが私の居場所なんだと実感しました。

 あまり長居ができないないため、一部と二部の間に、ヨッシー・たまたま寄ったセブンスローズの稲川さんが親知らずを抜いたばかりで今日は唄ことを禁止されていたにもかかわらず唄ってくれました。

 入院前はまだ未完成だった「都知事様へ」をヨッシーは、アリちゃんとユッ君のコーラス隊をバックに、「総理へ」はアリちゃんのハーモニカ、ユッ君のリードギターで演奏。思わぬ進歩に驚きました。

 途中で前進友の会の梅ちゃんから、帰り際にはえばっちからお祝いの電話が掛かってきました。どうも、ありがとうございます。


3/5
則子さん退院祝い・ライブ/3・4

 昨日の午後、則子さんは1月12日の入院以来、約2ヶ月ぶりに退院し関町に戻ってきました。午後5時すぎから退院祝いの開始。料理は前日からアリちゃん・ハネやんが仕込んでいた鶏手羽・大根・ゆで卵の煮物、きざみ小梅としらすなどの入った混ぜご飯、ナタデココ入りフルーツポンチなどなど。お祝いに駆けつけた沢山の人たちで『チャンプルー』は珍しく満員でした。

 富田さんの娘のショウコちゃんが花、西山さんが手作りケーキ、洋平君がパン屋で選んだクリームパン・・・心のこもった温かい贈り物。

 「6・3 すべての命のチャンプラリズム・コンサート」に出演するカーミーズ(亀谷さんご夫妻)が登場。則子さんに歌のプレゼント。いつもながらお2人の人柄をしのばせる優しい歌でした。則子さんは8時過ぎに帰ったけれど、ライブは続きました。今日のサンデー夕食会でライブをするMick(ミック)も急きょ来てくれて熱い歌を唄ってくれました。その後で、またカーミーズの歌が続き、今日はヨッシーもアリちゃんもユッ君も(バンド名・ヨッシー&沖縄料理店『チャンプルーズ』)役者の内木さんも観客として歌を楽しみました。

 それからは例によって、熱ーいトークが12時すぎまで続けられられました。

 ともにかくにも、則子さん退院おめでとーう (^o^)


えばっちより 

わうぉぉぉーーーーんんんんんんん!!!!!!!
退院、おめでとうさぁーーーーーーんんんんんん

則子さんげんきぃーーーーーーー
わぅおーーーーーんんんんんんんんん!!!!!

今日は、すっげえーーーパーティになるんじゃアー
則子さん、街と自由広場のみなさんに
京都から、えばっちのわぅおーーーんんん!!!を
送りまーーーす。
良かったねぇーーーーーー!!!!!!
退院おめでとさぁーーーーーーんんん!!!!!
あーーーーーえばっちも行きたいなぁーーーーー

はねやん、料理してるのかな
ありぃよっしーゆっくん唄うのかなぁーー
ようこさん、運転手するんかなあー
街や自由広場のみんな、踊るんかなぁー
ちゅうやん、ケーキこさえてたりして
とみやん、アレ唄うんかなぁーー
あっそうやそうや、ドロレスーケーンかモイヤーニィーブレナンがゲール語か
英語で唄ってたような気がするんやけれど、さだかじゃなくてCDももってな
いんよ

そうそう、えばっち6月3日までに上手く行けば
其の名も「キーサン革命 キーサンのセーカツとカクメイ」というタイトルの
リーフレットを発行できるかもしれません。
もっとも、えばっちの書く原稿始終ボツになるので、
これも、途中でダメになるかもしれんのですけどね。
そこで、献呈というわけでもないのですが、
そのリーフレットの「はじめに」という章で
「キーサントモダチのなかまたちみーーんなのおかげでこれが書けて発表できます、
特に」
で、えばっちの想いで22人名前をあげさして頂きたいんです。
そこで御願い、はねやん、のりこさん、入ってください。
もっとも、100m先のペンキ缶が火ぶくれおこしそうな文章なので、
ご迷惑をおかけしてしまうかもしれないのですが、
宜しくお願い致します。

則子さん、本当に退院おめでとーーーうううう!!!!!!
わぅおーーーーーんんんんんんんんんんん!!!!

                        えばっちより

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
前進友の会・やすらぎの里


3/4
アララガマコンサートは大成功 higegorilla

 夕べのアララガマコンサートは、めでたくも、大成功でした。アララガマというのは、沖縄語で、「負けずに頑張るぞ!」というような意味だそうです。

 つまり、事務所が放火されても、「負けずに頑張るぞ!」ということ。
客足が多少心配されましたが、蓋をあけてみると、会場は、満席立ち見の状態でした。
 
職場から至近のてじょんさんや、シングルCDのジャケットのイラストを担当してくれた貝原さん、そうそう、ティンカーベルさんもいらっしゃってました。先日、李政美がライヴをやったかけ込み亭のマスターもいらしてました。
 会場の一角には、放火現場の生々しい写真が展示。コンピュータがめくれあがって黒こげになってました。火事の現場というのは、いつだって、ゲルニカ的です。犯人は、まだ特定できないと言うこと。

 焼け残った泡盛「(ヤケ酒」と呼んでいた)が、無料で振る舞われ、ここぞとばかり、意地汚く飲んでいた髭のおじさん約1名がいたということです。

 コンサートは、知念良吉、李政美、佐渡山豊、寿の順で、それぞれ25分程度のステージ。李政美は、京成線、オギヤディア、アリランメドレーを、途中、寿の宮城さんのギター伴奏で歌う。 

 エンディングは、全員総出演で、知念さんの「じんじん」を合唱。会場のお客さんも、総立ちで踊りだし、次々とステージに上がっては、じんじんの替え歌を即興で披露。それにしても、沖縄的な盛り上がりでした。

 「命どう宝」の実行委員の方によると、予想をはるかに上回るカンパが寄せられたそうです。
 皆さん、ご協力、本当にありがとうございました。
4/28には、上野水上音楽堂で「命どう宝」主催の大きなコンサートがあります。


3/2
『街』&『チャンプルー』&則子さん  

3月1日〜3日は、『街』恒例の冬物一掃全品100円セール。売れて売れて、店内にはほとんど品物がありません。さぁー、春物を出して、春を迎える準備をしよう。

『チャンプルー』の昼間は忙しいけど、何故か夜はヒマ。1日、6.3 すべての命のチャンプラリズム・コンサートに向けて、ヨッシーのアドバイスを受けながら、アリちゃんがハーモニカ、ユッ君がリードギターで「総理へ」の練習をしています。初めてにしては、とてもROCKしてました。期待できそうですね。

則子さんは、順調に行けば、今週の土曜日に退院する予定です。約2ヶ月ぶりの地域生活。土曜の夜に『チャンプルー』で退院祝いパーティーをやります。会いたい人は『チャンプルー』へ、話したい人は電話をくださーい (^。^)



2月 3月A
日誌に戻る
「街」のトップの頁に戻ります
inserted by FC2 system