オープンスペース街&心の広場
6月A
6月@ 7月@

2000年6月30日 金曜日

 みなさん、こんにちは。
 全国キャラバンFAX-MAIL通信 No.6 テキスト・バージョンをお送りします。
 写真その他のデータは、

サイバーキャラバン(http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/caravan/repo/top.htm)でご覧下さい。

 津村 洋 Hiroshi Tsumura

基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン 全国キャラバンFAX-MAIL通信 No.6 
2000年6月30日 金曜日

〒164-0003 東京都中野区東中野1-41-5 文学会館 Tel: 03-3366-4650  Fax:
03-3227-3657
郵便振替口座 00190-1-27941(コム・未来)
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キャラバン隊、関西から中国地方へ

京都・大阪キャラバン報告 6/26(月) 乱鬼龍

6/23(木)
 京都の交流会に私の縁のある「菅家さんを支える会滋賀」(栃木県足利市の冤罪事件の支援組織)の田中さんが、滋賀県より参加してくださる。人数は少数だが、大湾さんの発言をはじめ、皆さんそれぞれに中身の濃い発言の続く交流会だった。仲村さん、山岸さんに大変お世話になって泊めて頂く。

6/24(金)
 高槻駅前、辻元清美候補にもキャラバンのパンフを渡して、エールを交換。夜の能勢農場で、おいしい牛肉など頂いて夜遅くまで交流する。

6/25(土)
 大坂梅田駅前での街宣、乱、尾形、ハンドマイクでアピール。ビラそれなりにはけて、役400枚ほど。カンパも受く。午後の交流会も少人数ながら、参加者それぞれの発言がとてもよかった。夜また能勢農場にお世話になって泊。深夜、ラジオで選挙開票速報を聞きながら報告を書く。辻元清美、保坂展人らの当選の報を聞く。この選挙結果をどうみるべきなのか、今後の動向は、いかなるものになるのか。私たちの真にラジカルな見方や行動があらためて、問われているというべきだろう。
 夜明け前のもっとも暗い闇の中でAM3:00

ただいま明石海峡大橋通過! 昨日は兵庫県で・・・
 6月27日午前9:25分
 6月27日(火)朝7時40分ごろに西宮を出発して、現在明石海峡大橋のふもとで朝食を取っています。
 ちょうど灰色公衆電話があるのでメールします。ここまで遠くに来るとメールを送受信するだけでも、100円前後かかります。
 天気はこちらは時折横殴りの雨で、現在は小康状態を保っています。夕方からまた、ひどい雨になるそうです。
 昨日は、猛暑の中、三ノ宮、元町、県庁、そして西宮駅前で駅頭情宣をしました。合計3時間あまりで、10141円のカンパを集めることができました。疲れましたが、とても励まされました。

 夜になって就寝まえの「あすの行動方針会議」で冗談であす朝7時〜三時間駅頭情宣をしよう、などと言うと一瞬みんな青い顔をしていました。このところの疲れが皆たまっているようなので今日はゆったりめで行こうと、思っています。
 岡山には午後1時頃到着予定です。その後は、どうするかは、知りませんが。(情宣とかゆってたような・・・)今日は少し休みがほしいなぁ。ではまた。(岡崎)

兵庫県西宮・岡山からの報告

6月26日(月)

 昨日の深夜には、総選挙の開票速報をラジオで聞いていた。今朝と夕方の新聞報道が楽しみである。
 午前10時過ぎに大阪の宿の能勢農場を出発して、兵庫県西宮市へ向かう。途中、兵庫県に入ってから駅前など3ヵ所で街宣をやる。ビラの受け取り具合や署名協力者の数は、名古屋で名大生を相手に街宣した時などよりも、印象としては良好だった。
時々署名協力者の中に沖縄出身者が2,3名いて、やはりこの人たちは在沖米軍の問題を自分の問題として捉えているのだなと感じた。
 違う場所で女子高生を主な対象に街宣をやった。高校生なので、カンパについてはさすがに無理だったが、ビラの受け取りは結構よく、署名についても10名足らずの人たちが協力してくれた。彼女たちにとては「ジュゴンの海」がキーワードとして気を引かれたようだ。
 兵庫県の特に瀬戸内海側の人々は、阪神・淡路大地震の体験を経ているので、行政への不信感、反権力の意識を、比較的強く持っているから、私たちがやる類の街宣には敏感なのかも知れない。
 夕方6時から全国キャラバン西宮交流会が持たれる。場所は西宮市勤労会館。9時頃に散会して二次会を経て、10時半頃に現地受け入れの方の手配で保育園に着いて泊まる。幼児の遊び道具がいろいろと置かれていて、二十数年前に戻ったような気分になる。
 結局、この日の新聞を買う暇はなかった。少し残念だ。

6月27日(火)

 朝7時過ぎに保育園を出発。この日には街宣はなし。神戸市須磨区に車が入った時に、私は或る歌を強烈に意識していて、車内ラジオがニュースを放送しているのにも構わず、思わずその歌を口ずさんだ。「青葉の笛」という題名で、いたって日本的なメロディである。源平合戦の古戦場がこの地区にあり、戦に敗れた平家の悲哀を織り込んだ曲である。歌の一番だけを載せさせていただく。

一の谷の戦敗れ
討たれし平家の公達あはれ
暁寒き須磨の嵐に
聞こへしはこれか 青葉の笛

 昼過ぎに岡山県内の球技場近くで、受け入れの方と合流した。一旦、宿へ行き小休止。洗濯、シャワーなどをお借りしてから6時半開会の「6・27岡山と沖縄をむすぶ市民集会」(於・岡山県総合福祉会館)に出席。冒頭に98年5月に撮影されたビデオを観た。東京へ出かけた沖縄の女性たちの闘いを追う内容である。アメリカ大使館や首相鑑定への要請行動、都内でのワークショップを採り入れた集会や、「基地はいらんかな」と呼び込みながらタライを米軍基地に模して"売り歩く"姿・・・。沖縄の女性たちは在沖米軍基地の抑圧を受け続けながらも、明るく、たくましく活動している。この集会全体も、女性の発言が目立つものだった。私は本当に元気付けられた。

6月28日(水)

 朝10時頃に宿を出て、岡山県内の自衛隊の日本原演習場を見学した。五十代くらいの男性が案内して下さった。美しい自然に恵まれた山々を、自衛隊の放つ砲弾が無残にも破壊していく。露になった山肌が目に付く。案内の方は現場の自衛隊員に顔が効くようで、キャラバン隊の私たちだけであれば、おそらく追い返されて入れないであろう場所に張りルことができた。戦車の砲弾が貫通した分厚い鉄板を見た時には驚かされた。人ひとりの顔がはまる位の大きさの穴がぶち抜かれているのである。鉄板の付近には砲弾の破片が散らばっていた。このような現状に抗して、演習場撤去を求める行政訴訟原告団が結成されてからすでに二十数年が経っている。案内の男性は演習場内に自分の小作地を持っていて、三十年もの間そこに畑を耕し続けているのである。一見地味だが息の長い、ねばり強い闘いである。ニ、三時間の見学を終えて遅い昼食を取った。

 7時から岡山国際交流センターで、国鉄労働者会議主催の「国労運動について考える6・28集会」に参加した。主催者や一般参加者の国労組合員の闘志もさることながら、わがキャラバン隊の尾形さんが、「国労への解体攻撃と沖縄の米軍基地の問題の根っこは同じ。資本の論理。軍産複合体こそ敵である。国労の闘いと沖縄の闘いとが連帯しなければならないし、それは可能だ」という主旨の発言をされたのが最も私の心に残った。最後に「闘う国労を守り発展させるアピール」を満場の拍手で採択して閉会した。労働者階級の闘いはこれからである。(松田)

6・28(水) 日本原演習場見学

 たまたま迷彩服を着た自衛隊の"演習"にぶつかる。地元反対農民で、演習場内で"小作権"を行使して"耕作"しているのは"たったの一軒"とのこと。この"一軒"の方の闘いがなければ、今日のようなことは、であえなかったという思い。
 夜の国労に連帯する集い、乱、尾形が連帯のアピール。 矢山有作さんに逢う。今日は、このふたつの行動+広島への移動の確認をして、夜が更ける。

 日本原での自衛隊の演習の"実況写真"は、我がキャラバン隊のスクープ写真と思います。−やはり、現地、現場を踏んでみなければ判らないことだらけ−という思い。
対戦車砲、砲弾のかけら(鉄片)および試射弾を撃ったものなど"サンプル"としてひろってきました。(乱鬼龍)

教えて下さい TさんよりのサイトへのMAIL 6月29日

沖縄サミットのときに、何かイベントに参加したいので、予定しているイベントがありましたら是非教えてください!

返信MAIL:Re:教えて下さい

Tさん、こんにちは。はじめまして。MAILどうも。
沖縄・名護サミットにたいするカウンター・サミットのスケジュールは:

東京平和電脳組−名護サポーター(東京)のサイト
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/index-j.htm

とくに、7月名護サミットVS対抗サミット のコーナーをご参照下さい。ただいま、沖縄・名護に向けて全国キャラバン走破中!サイバー・キャラバン コーナーでそちらもご覧下さい。では、沖縄のどこかの取り組みでお会いしましょう。(津村 洋)


ステイして

 私は街に来て、初めて自分の生き方は自分で決めていいのだと知った。いつも誰かに道案内をされて生きてきた私にとって、それはとても刺激的だった。よく考えれば分かることなのかもしれないけれど、自分の生き方を決めるのはやはり自分なのだ・・・。私はなんと他人の生き方に依存してきたのだろう。

 小学校で始めたテニスも、私立の高校、大学へ行くのも私は自分で決めてこなかった。そして、何とかうまく結婚したけれど、それも天の言う道に沿って歩いているだけの様にさえ思えてくる。

 私は私の道を行こう! 自分で決断した道を!

 決断には時間がかかると思う。しかし、それは私にとって大切な大切な時間なのだ。街には自分の生き方を模索していいる人も、その行き方にまんしんしている人もいる。でもみなとても輝いている。私は始めはとてもとまどった。なぜなら、私は自分というものを持っていなかったからだ。

 街のみなは、自分の生きる道を持っている。私はそんな街の人に感謝をしたい。自分の足で歩く勇気をありがとうと・・・。


初めて街頭に立って

 ♪介護保険〜NO.NO.NO.
 タンバリンをたたきながら私はさけんだ

 「戦争はごめんだ〜」

 誰にさけんでるのだろう。街頭の人々はそんな私をどんなふうにみているのだろうか・・・・
 「そんな事は関係ない」それが初めて街頭に立った感想だ。
 私は、街頭でうたい、叫ぶことに酔いしれた。
 みな横眼でチラリと私を見ていた。
 私は、もっともっとさけぶ。
 なんとすがすがしいのだろう。

 私は世の中に主張する。
 ヨッシーのうたにのって主張する。

 初めて街頭に立って自分の言いたい事が言えたのだ。
 この国のために、そして未来のために。
 ちっぽけな存在だとしても

 沖縄料理店チャンプルーズのメンバーとして
 これからもうたい、踊りたい。自分のために。


ペチャンコ日記@

6月28日(水)

2日間の休みでリフレッシュ。
頭の回転も速く、午前中、洗濯機に取り組む。
洗濯をしながら古新聞の4つ折りに挑戦。
乾燥機に取り組み、お昼を食べに行く。
戻ってきてから、しばらく待ったが、なかなか
終わらないので、今日中に終われば良いと思い
下におりる。

ペチャンコ日記A

6月29日(木)

青ポンが乾燥機の水漏れなおしてくれました。ばんざい。
これで安心して漂白してください。
洗濯はペチャンコにおまかせ。安心タイマーつき。
昼寝タイム。

ペチャンコ日記B

西さんに運転免許が戻ったら、また助手席に乗ってみたいな。
どこにでもくっついて行っちゃおうと思う。
なんとなく、富田さんの時もそうだけど、
車に弱いペチャンコが吐き戻さないんだよネ。
それだけ、運転が上手ということかな。

ペチャンコ日記C

私はヤジ君を兵隊にしたくない。
軍隊なんかいらない。
武器なんていらない。
もしも、ヤジ君に赤紙が来たら、山に逃がす。
せっかく病気がちの子を生んだのだから。

いつだったか、ヤジ君が10代の頃、
おなかをこわす時考えた事がある。
この子には世の中に出てしなければいけない使命がある。
死なせてなるものか。
一生懸命看病した。


6/28
 駒込に琉球がやってくる-沖縄世文庫、再建!
 沖縄世文庫が放火という悪質な犯罪に負けず、ついに再建されました。
琉球センター「どぅたっち(独立)」
東京都豊島区駒込2−14−7(JR山手線・駒込駅徒歩2分)
пEFax 03−5974−1333
開店時間/午前11時〜午後8時
第一・第三日曜日はお休みです。

沖縄直送・新鮮な・・・ゴーヤー(ニガウリ)、ナーベラー(へちま)、パパイヤ

沖縄でしか手に入らない味は冷凍やレトルトパックで、ミミガー・皮付き三枚肉・ソーキ・てぃびち、ちちあぎ

そしてお馴染みの、沖縄そば、ジーマミ豆腐、黒糖菓子、工芸品、琉球ガラス、シークワサー、ウッチン茶、健命一番茶、ポーク、マース、純黒糖ブロック

さらに 石垣島のモズク、深層塩、健康酢(命どぅ宝)

 沖縄の自然が生み育んだ、健康食品やまーさむん(美味しい物)、人々がご先祖様から受け継ぎ、引き継ぐ文化・工芸、そして文化表現、そんな豊かな沖縄とそして島々の特産品を、この小さな店に溢れさせたいと思っています。

 琉球のたくさんの宝物が、皆さまに喜んでいただけるようにと願っています。


「どぅたっちイベント情報」
6/23(金)午後7時から
「沖縄慰霊の日」に
三線と唄と話・・・太田武二
沖縄戦パネル展示
7/10(月)午後7時から
沖縄のいまを語る
沖縄から、平良修牧師(大里教会)を迎えて
参加費 1000円
 会場・琉球センター「どぅたっち」
命どぅ宝ネットワークのホームページ


6/26

みなさん、こんにちは。
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 津村 洋 Hiroshi Tsumura

基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン 全国キャラバンFAX-MAIL通信 No.5 
2000年 6月26日 月曜日

〒164-0003 東京都中野区東中野1-41-5 文学会館

Tel: 03-3366-4650  Fax:03-3227-3657
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キャラバン隊、浜松・名古屋から関西に入る

6月20日 キャラバン隊浜松へ 乱鬼龍

 前回の横須賀から、浜松への道程は、遠いので、約束の時間に遅れないようにと、朝5時起床。5時半出発し、途中、朝食、休憩、昼食なども経て、正午、案内者と落ち合うため清水インター到着。
 案内者に運転を変わってもらって、給油、及び小休止を経て、一路、浜松へ。お約束の2時までに間に合う。

 浜松の地元で、AWACSの問題などに取り組んでおられる。「NO,AWACSの会」の方にご案内頂いて、まず、戦前の浜松の「戦争遺跡」を見て廻り、記念写真なども撮る。
 その後、今、”実戦配備”されているというAWACSをこの眼で確かめたいと、浜松基地を見学。さすがに、その広さに、まず、驚く。
 最近は基地の”全容”を見せないようにするための「フェンス」が、どんどん伸ばされて、AWACSも、外からは見えないようにしているなどと説明を受ける。(こういうことは、正に、現地、現場に来なければ判らないことであり、こうした、ひとつ、ひとつの”細事”もまた”新ガイドライン体制”というものが、どういうものであるか−ということの”ひとつ”を物語るものではないか、などと思った。)
 次に、自衛隊のPR館とも言うべき「広報館」(これは、何と60億円もの”税金”をつぎ込んで建てられたという!)を尋ねたいと思ったが、すでに閉館となってしまい、残念ながら”見学”できず。
 夜の交流会は、約20名ほどの参加者、私がキャラバンの主旨などを説明して、まず全隊員を紹介し、その後質疑応答など。
 私の御縁のある地元のかたも2名参加してくれて、数年ぶりくらいに逢う。
 皆さんに檄布への寄せ書き、署名、そして会場カンパなど頂く。
 その後、懇親の集いも開いて、頂いて、充実した一日となった。

 このように、それぞれの地に、それぞれの人たちがいて、それぞれの地で、実に色々な運動を、地道に、たゆまず、黙々と、続けておられる−という、当然と言えば当然かもしれないが、そうした当然のことを、あらためて、”実感・体験”でき、それぞれの土地柄の人情にも触れて、学ぶことができる−というのも、このキャラバンのもつ意味と、意義の一つ、ではないかと思う。
 出発に際しても、あわただしいキャラバンの旅立ちであったが、浜松への道のりは長く、そして充実した、”あっという間の一日”であった。 御厚情、御高配を頂いた皆様に、心から感謝申し上げたい。

6月21・22日 名古屋報告 乱鬼龍

 浜松で”荷”の再点検などをし直して、朝9時、名古屋へ向けて出発。
 行く先々の「宿」とか「駐車場」とか、いろんなところで、キャラバンカ−が目立つので、話しかけたりして、それらの人達にも、キャラバンのチラシを渡し、こういうわけで、今、沖縄をめざしている途中である云々と、一声、二声、かけている。こうしたこともキャラバン行動の”一環”であると思う。そうした人達の反応は、仲々に好意的であり、激励されて進んでいる。
 名古屋での初日は、全員が疲れもたまってきたところなので、少し、早めについて、夜の交流会を除いて”休息日”とした。 これからの暑さや雨天等の行程を考えると、どう行動を効果的に行うかということとともに、どこで、どのように”休息”をとるか−ということが、非常に重要であると、あらためて痛感する。
 夜の交流会は、少人数であったが、私と尾形さんの”共演”で、話の内容としては、聞いていただいた方々に、少しは、役に立ったかと思う。
 同夜のミーティングで、あすの街宣行動を協議。
 朝8時半、名古屋大学前にて街宣、ビラまき。その後保存運動で知られる「海上の森」を見学。「名古屋市長」に我がキャラバン隊の申入書を渡す。その後名古屋駅前にて街宣。と、おおよそのプランを決定。
 朝の名古屋大学前の街宣は、やはり、多くの学生達の受け取りが悪い。この若者達は、この社会や時事や政治を、本当のところ、どのように考えているのかと、あらためて思う。
 「海上の森」は、私の思っていた以上に広いところで、やはり、仲々、好いところだった。ここを見学中すれ違う”見学者”たちにもビラを配布、署名をしてくれる人、パンフを買ってくれた人、カンパをくれた人。などもいて、「海上の森を守れ!」ということと「ジュゴンの海を守れ!」ということは”ひとつ”と話すと、大変、良い反応であった。 その後、名古屋市役所を訪れ「申し入れ書」を手渡してくる。(写真撮る)
 駅前街宣、私と尾形さんの二人で交代してアピール。ビラ配布するも、受け取りは非常に悪い。
 こうした”無反応”と”受取拒否”といった人達の”魂に届く”ような、訴えとは、メッセージとは、宣伝とは、・・・などと、あらためて考える。
 同夜、お世話いただく方の家に泊めて頂いて、夕食、及びお風呂、洗濯までもお世話になる。
 こうして”街道スジ”の人々のお世話になり、激励を受けながら、また、あすの行動予定を協議、確認し、今夜も眠りのそこに着く。

23〜25日 京都・大阪で交流・宣伝・フィールドワーク

 二十三日夜は午後六時半から京都・烏丸丸太町の「ハートピア京都」で「キャラバン隊を迎えての歓迎交流会」である。これに先立ち尾形の友人で立命館大学経営学部の渡辺峻さんがおいでになり、キャラバン隊の労をねぎらいカンパを下さった。私たちは渡辺さんにキャラバンのビラと名護への基地移設反対の署名用紙をお渡しして署名集めをお願いし、快諾を頂いた。

 交流会は世話役の仲村実さんの司会で行なわれ、この日から参加の津村さんを含めキャラバン隊の自己紹介のあと、隊長乱さんからキャラバンの経緯に次いで、田中正造が単に足尾鉱毒問題に深いかかわりを持っていただけではなく、自由民権、日露戦争反対・陸海軍全廃を唱えていた先見についても話された。そのあと尾形からは沖縄問題についての話(後述)である。参加者一人ひとり自己紹介・意見陳述があったが、投票日を二日後に控えて社民党から今回の衆議院選に立候補された大湾宗則さんが忙しいなか時間を割いて姿を見せられ、キャラバン隊に力強い激励を下さった。

 二十四日は一同揃って京都大学へ街宣に行ったが、土曜日のため休みとあって、同志社大学に車を走らせた。だがここも登校学生は非常に少なく、しばらくの街宣とビラ配りのあと、市の中心部に赴いて、街宣・ビラ配り、非常に反応があった。JR高槻駅前では十一時から土井たか子社民党党首による辻元清美候補の応援演説があるというので、そちらに赴いた。駅前はギッシリの人だかり、土井さんの演説のあと、辻元さんは「社民党を昔の社会党にする」と力強く訴えられた。辻元さんはピースボートが十七年前発足して以来の仲であり、私たちも名護サミットに向けてキャラバンの途中であることを告げ、固い握手を交した。

 このあと人民新聞社の山田洋一さんと合流し、釜ヶ崎へ。ここでは地域合同労組の委員長の稲垣浩さんに迎えられた。稲垣さんの案内で近くを一廻りしたが、固い地べたの上に寝ているホームレスの人たちに対し、西成労働福祉センターは一切就職の世話をしないばかりか、市は小学校などのそばの路上に寝転がることができないよう注水パイプを設け、監視のカメラが十七台もあるという。これが「ゆたか」な日本の現実であることをあらためて思い知らされた。

 能勢農場に着いたのが夜の七時であるが、ここでは専従六人を含めた十数人の方々が焼き肉の準備をして私たちを待っておられ、到着早々ビールで乾杯、会食である。だいぶアルコールも回ったところで、乱さんの挨拶、それに私の沖縄についての話となった。後はかなり遅くまでまで飲み交しながらの交流である。

 能勢農場は七十六年八月、石ころだらけの荒れ地の開墾から始まったという。又その「農場憲章」によれば、設立の目的は自立対等の人間関係・働くことが喜びとなる人間労働の回復・地球規模での自然と人間の共生を内容とする、人間解放をめざす人が一人でも多く生まれ、二十四時間の共同生活のなかで共同して働き、共同して学ぶのである。能力によっての差別は無く、専従の給料は一律に何と九万円である。関西よつ葉連絡会の四つの一つで、現在肉牛八十頭、鶏七十羽を飼い、一ヘクタールの畑で野菜を作っている。稲作はやってない。牛肉については、ハムやベーコンなどの加工も行なっている。

 私たちはこの夜ここに泊めて頂いた。そして翌日はJR大阪駅前で一時間ほど街宣・ビラまきである。ちょうど選挙の投票当日だけに、けっこう道ゆく人たちの反応は強くカンパや署名も多かった。バスを待っている人たちなどは私たちの訴えに聞き入ってくれた。

 午後二時から三時間ほど、天満橋の「エル大阪」でキャラバン隊歓迎交流会である。司会は人民新聞社の山田洋一さんで、乱さん、尾形、松田さん、岡崎さんと自己紹介からはじまって一わたり話を終えたあと、参加者の自己紹介・発言があった。最後に参加者の一人で奄美出身という方による三線と唄は非常によかった。

 毎日を通じての尾形の沖縄問題の報告はあらましつぎの通りである。
 なぜ突如として普天間基地の移設先が名護になったのか。その規模や工法などについても稲嶺沖縄知事からも受け入れ先の岸本名護市長からも何の説明もなされていない。できないはず、米軍が名護に着目したのは、実は三、四十年昔のことである。海兵隊の実戦部隊の歩兵三個大隊と砲兵連隊が駐留しているのは名護のキャンプ・シュワブとその隣のキャンプ・ハンセンであるのに対して、これを運ぶヘリの基地は遠い普天間にある。当然のこと、軍事上の観点から米軍はヘリ基地を名護にと考え、くわしい資料も作っていたのである。

 現在使用している兵員運搬用の中型ヘリCH46(十八人)や大型ヘリCH53(五十五人)を運ぶ超大型輸送機C5の離着陸には現在の普天間の二八〇〇メートルの滑走路が必要であり、現在ある七十一機のヘリに加え、普天間基地は、有事の際、米本土からさらに三百機のヘリが収容可能である。今の普天間基地の機能を低下させないようにするためには、このような内容の基地でなければなるまい。当然のこと、以前海上ヘリ基地が問題とされていたときの工費は五千億円と言われていたのが、いまや一兆円といわれている。もちろんすべて私たちの税金からである。
 それも単なる「移設」ではない。老朽化した普天間の諸施設はすべて更新、旧型となったCH46ヘリは、航続距離も、速度も積載能力もその数倍で朝鮮半島まで往復できるというV22オブスレイに置き換えられようとしている。稲嶺知事は軍民共用十五年というが、米政府は使用期限など全く問題にしていないし、日本政府もこの問題について協議しようという気配もない。それどころか、米政府は新基地は耐用二百年、何と二十三世紀まで使えるものという。

 現在でも毎日少なくともレイプ、ひき逃げ、殺人、飛行機の墜落など、米軍がらみの事件や事故が毎日一件は沖縄のどこかで起こっている。冷戦もとうに終わり、朝鮮半島の緊張も緩和され始めている折柄、このような基地の強化・固定化は断じて許すわけには行かない。

練馬・関町の「街」です

お送りいただいた「基地ノー、ヘルプ・ジュゴン」通信を僕たちの「伝言板」に掲載させていただきました。http://www1.plala.or.jp/akahane/6.19.html

また、週刊「街ニュース」の431、432号にも少し編集して
使わせていただきました。

僕たちのホームページは、「オープンスペース街」は、以下です。
http://www1.plala.or.jp/akahane/index.html

今後とも、よろしくお願いいたします。

沖縄料理店・「チャンプルー街」ハネやん hane@purple.plala.or.jp
<mailto:hane@purple.plala.or.jp>

(「オープンスペース街&心の広場」にてのご紹介ありがとうございます! 津村)

キャラバンがんばれ 岡山からのMAIL 6月20日

岡山も6月19日、2回目の実行委員会を開催し、受け入れ態勢を万全にするため頑張っています。多くの方々に参加いただくことが、キャラバン隊を元気づけることになると思います。
岡山としての沖縄連帯行動として位置づけ、頑張っているところです。

(各地の皆様へ>引き続き、さまざまなご連絡、メッセージをお寄せ下さい。よろしくお願いします。津村)


6/24

明日は投票日 (^o^)

 6月3日の「すべての命のチャンプリズム・コンサート」が終わった翌日から、私たちは、隣りにある区の信頼できる革新無所属の候補者のための「駅前・ゲリラ応援ライブ」を5回に渡ってやってきました。

 ヨッシー&沖縄料理店・チャンプルーズとして、毎回8人ぐらい参加して、「都知事様」「総理へ」「俺は売れないロックンローラー」などを2時間絶叫してきました。その過程で最新曲「介護保っ険!」が生まれました。

 これまでの政治屋たちには、もう日本の将来を任せることはできない。新しい政治の流れを作り出したい。そういう想いで唄い続けてきました。

 私たちが応援している候補者を絶対当選させたいです。最終日の今晩も、一か月入院中の則子さんが外泊で戻ってくるので、皆と唄いにいってきまーす。

 無党派層の皆さん、ヨッシー&チャンプルーズの唄を聴いて眠りから目を覚まし投票に行きましょう!


6/23

基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン 全国キャラバンFAX-MAIL通信

みなさん、こんにちは。
全国キャラバンFAX-MAIL通信No.4をテキストデータで送ります。
以下のサイトのサイバーキャラバンでその報告を書いたところです。http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/

 ご参照下されば幸いです。

6・18に東京・三多摩を出陣した沖縄・名護に向かうキャラバン隊も、横須賀・浜松・名古屋を経て、本日から京都・大阪の関西圏に入ります。この行程には私も、合流します。よろしく。

で、みなさんへのお願いです。キャラバン隊への負担をなるべくかけないように、ご報告を、各地街道筋の地元から発進して下さるようお願いします。

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基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン
全国キャラバンFAX-MAIL通信   No.4 2000年6月23日 金曜日

〒164-0003 東京都中野区東中野1-41-5 文学会館 Tel: 03-3366-4650  Fax:
03-3227-3657
郵便振替口座 00190-1-27941(コム・未来)
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キャラバン隊、横須賀・浜松・名古屋へ!
6月19日(月) 全国キャラバン横須賀に入る

 6月19日朝早く府中を出発した「キャラバン隊」は、横須賀に昼頃到着。地元の方のお世話になり、昼食後、ヨットをチャーターして頂いて、「横須賀軍港」の艦船の現状を、案内して頂く方の説明を頂きながら、"海上からのウオッチ"。

 日頃、テレビや写真でくらいしか、見ることのない、それらの艦船の大きさや、そのハイテク化等に、あらためて"新ガイドライン"(戦争計画)の"一端"を、見る思いがした。 その後、夕方の「横須賀中央駅」前にて、横断幕を掲げて、ビラ配布を、地元の人と貫徹。
 そして、夜の交流食事会。レポート書き。明日の浜松への連絡などで、あっという間に夜が更けてきた一日だった。(乱鬼龍)

 沖縄の基地は数えきれなく訪れたが、横須賀の軍港を見て廻ったのは始めてである。第七艦隊の旗艦ブルーリッジを始めとする米軍の空母、イージス艦、フリゲーター母駆逐艦などや海上自衛隊の護衛艦、潜水艦、掃海艇、輸送艦等々、そして米軍の弾薬庫のある浦郷地区、石油をパイプラインで送る吾妻島給油施設などである。現在250メートルの長さを400メートルに延長すべく、工事にかかっている12号バースは港湾法により横須賀市が許可してということ、腹立たしいかぎりだ。いずれ現有の空母が廃艦になれば、米海軍の空母はすべて原子力空母になり、横須賀はその母港にされようとしている。
 そうでなくても、東京湾は船舶の通行は過密で危険視されており、基地から東京湾に垂れ流されている重金属やPCBによる環境破壊が大きな問題となっている。沖縄もそうだが、日本政府はいつまでアメリカの言いなりになり続けるのか、闘いの決意を改めて強めさせられた一日だった。(尾形 憲)

 沖縄・名護へ向けてのキャラバン二日目、横須賀の軍港に立ち寄る。横須賀地元で軍港反対運動に取り組む方からボートに乗せていただいて横須賀の軍港を一周してみる。余りにも多くの艦船の群れに、又その説明に、ガイドライン法案がどのようなものかがリアルになってくる。この軍港がもし攻撃を受けるようなことがあればどのようなことになるかは火を見るよりも明らかである。もう一つ感じることは、この横須賀の海からは磯の香りがしないということである。12号バースの事といい、環境汚染は甚だしいものである。一周する中で赤潮が発生していることに気が付くが、魚は泳いでいるが、くらげは泳いでいるが、この海は死んでいる。軍事基地を建設すれば環境まで完全に破壊してしまうことは、沖縄・名護だけの問題ではなくこの横須賀でも証明されていることである。「ヘルプ・ジュゴン」は正に妙を得た言葉である。(連帯運営委員 佐藤玄宗)

 6月19日、私は初めて横須賀港の米軍・自衛隊艦船を見学した。地元の方の御好意で、ボートに乗せていただきながら関連施設を見回った。この日は天気がよく、帽子をかぶっていた案内の方と私以外の5人の方たちは、日差しの暑さを感じていらっしゃったようだ。潮風が吹いていて快かった。
 しかし、それとは別に、米軍・自衛隊いずれを問わず、私たちのボートの身近に迫ってくる艦砲やミサイル発射台に、私は威圧感を感ぜずにはいられなかった。日米安保再定義以降に、日本列島全体が"不沈空母化"していることの、ほんの一端を、キャラバンの二日目にしてまざまざと見せつけられた思いだった。
 おそらく、これから見学していくであろう各地の軍事基地の現状に思いをはせた。それにもかかわらず、横須賀の地域でねばり強く反対運動を続けてきて、今後も闘い続けるであろう人々の存在に、私は意を強くした。(松田敏典)

 遠近感を失う程の巨大な鉄の塊が所狭しと横須賀の海の上に浮かぶ。海も灰色であれば、それらの塊も灰色であった。海は、所々赤く血に染まっていた。聞けば、それは赤潮であり、12号バースの拡張工事に伴って、汚染された海が、初夏ということもあって、プランクトンを大量発生させ、横須賀の軍港を所々赤く染めてしまっているのだと言う。しかし、その光景は、十数隻にのぼる日・米の軍用艦船と流血の海との因果を連想させずにはいられない、何かを表わしてる。
 巨大な灰色の鉄の塊は、しかし、動き出す気配を感じさせず、いつまでもそうやって構えの姿勢を崩さないものの様に思われた。横須賀の町もそれらをそういうものとして感じているようにも見えた。流血の海は、ただの赤潮にすぎないのであって、こうした事態こそが、平和という語の概念の意味するところなのだ。言い換えれば、それは、人々にとって気付かれざる流血であり、想像することを禁止された暴力、虐殺なのである。
 その日泊まった宿には、Japanese Only と書かれてあった。(岡崎)

キャラバン隊報告 6/22(木)夜10:40 乱鬼龍

・6/20(火)
AM5:00起床、5:30出発し、約束の時間まで(2:00)に何とか浜松に到着。浜松基地見学、講演会、交流会をこなして寝る。

・6/21(水)
AM7:00起床、朝食、車の荷の整理をして、AM9:00頃−名古屋に向けて出発。PM3:00過ぎくらいに名古屋着、休憩をして、夜の交流会等、全て、山田さんに大変お世話になる。

・6/22(木)
AM8:30−名古屋大学前にてハンドマイクを使い、幕を掲げて情宣、AM11:00頃−海上の森見学、PM3:30頃、名古屋市役所に申入書を渡す。その後駅前にて情宣。−山田さん宅へ。

・タイヤ交換する。バッテリーはまだ大丈夫そうなので、とりかえず。夕食を頂いて、風呂、諸事の確認をする。あすは京都へ。京都の行動の検討をする。

◎浜松の「交流会」で、私の縁のある渡辺春夫さん(もと原発いらない人々−で立候補)、佐藤さん(豊橋日中友好協会)が参加してくれる。−10年ぶりぐらいに逢う。参加者約20名ほど。会場カンパ約12000円

◎名古屋の交流会、伊藤さんが参加(東京より)(我々も含めて、約10名ほど)会場カンパ約2400円ほど。

◎名大前情宣で、署名少し、学生のビラの受け取りは、思っていた程度で、悪い。カンパしてくれた人がいて、1020円。

◎海上の森見学。他の見学者10名程にビラ配布(歩きながら)約50〜60枚ほど配布。署名してくれる人あり。パンフ4部売る。+カンパで2400円ほどあり。

◎名古屋市役所
申入書、すんなり受け取るように話して、受け取ってもらう(写真撮っておく)

◎名古屋駅前情宣は、ビラの受け取りすこぶる悪し。それでも150枚ぐらい配布したか。尾形先生の友人見えてくれる。

◎タイヤ交換し、車、チェックして、少し安心して走れることになり、ひと息。

◎連日の行動で、このところの疲れがたまってきた感。

◎今夜は”ノルマ”を簡単にして、風呂に入って、早めに休むことにする。
PM11:05 乱鬼龍

6月20日(火) 浜松での交流会、大成功!
 朝5時半に横須賀を出発したキャランバン隊は予定どおり2時に浜松に到着する。さすが朝早かったので、隊員も寝不足気味。
 しかし、「NO!AWACSの会」のメンバーが浜松基地のフィールドワークの案内をしてくれる。みんな「空飛び司令塔=AWACS」を見るのは初めてで興奮気味。
 その興奮のまま、夜の交流会に参加。地元の人約20人があたたかく迎え入れてくれました。
 乱さんも尾形先生も張り切って報告し、みんな熱心に聞いて感心していました。最後は三線の歌も飛び出し、よい雰囲気の交流会となりました。(静岡:Tさんから)

沖縄キャラバンへメッセージを託します 川口 弘(広島)
 沖縄の闘いにそっぽを向くことは、加害を繰り返すことだ。もう誤ちは許されない。歩くことができなかったら車椅子で、口が利けなかったらペンで、ペンがもてなかったら「心の窓」、眼で、色んな方法で闘います。いまこの国に必要なのは闘う草の根一人一人!届け、わが心、沖縄へ!ご成功を願って止みません。
 乱筆でごめんなさい。キャラバン隊へ届けていただけたらうれしいです。協同協闘の一人、ここに居ます。 

6月19日(たいへんな病苦のなか、震える手を左手で支えてお便り下さった川口さん、ありがとうございます。 津村)


6/22

えばっちからのメール

とまさんのところへは、お米を送ったンよ。
「お米」と「味噌」さえあれば・・・・・・・という想い込みから
抜けられないエバッチでした。

「介護保っ険♪」ていうのは、すげえよなぁーーーー
聞きたいなぁーーーーーーー

15日はジュゴンの日かぁーーー
せめて、カンパ送ろう!

みんなゲンキ?
疲れてないかな?
ちゅうやンは、熱さがつた?
熱出すのはエバッチだってば。

エバッチもちょっと疲れ気味かなぁーーー

みんな、身体に気をつけてね!!

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
前進友の会・やすらぎの里


6/21

■辺野古のジュゴン
■希少種指定は困難
■政府 保護区設定も否定

 【東京】政府は十九日、名護市辺野古の周辺海域で回遊が確認されているジュゴンの保護について「生息状況の十分な知見がえられず、種の保存法の基づく国・・・植物種への・・は困難で、生息地等保護区指定もできない」との見解を明らかにした。

 県選出の照屋寛徳参院議員(社民・護憲)の質問主意書に閣議決定した書面で答弁したもので、ジュゴン保護の対策はしめしていない。こうした政府の対応について環境団体からは、「国際的にジュゴン保護の気運がたかまっているなかで、日本政府は後ろ向きだ」と批判の声が上がっている。

 答弁書はジュゴンの研究者や環境保護団体が求めている現場調査に関しても「現地調査の必要性を否定するものではない」としながらも、全国的な分布、生態に関する知見や資料が少ないことなどを挙げて「地域に即した効果的な調査手法の設定が困難で、直ちに広域的調査を行うことは困難」と否定的。

 また、沖縄周辺でジュゴンのエサとなる海草藻場の調査を行ったものの「調査は全国の藻場等の分布状況と消滅状態の把握などを目的としたもので、個々の藻場に関する評価は行っていない」としている。ジュゴンに関する分布、生物学的特徴、捕獲などの人為的影響等について国内論文十七件、国外論文十五件とその他六十件を収集したことも明らかにした。

 世界自然保護基金日本委員会(WWFJ)の花輪信一さんはジュゴンに関する政府見解について「ジュゴンについて何も分かっていないから何もできないと言っているようなもの。論理的にも全く理解できない。現地調査は資料や・・・がないから行うもので、早急に事態を調査して、保護政策をとるべきだ」と指摘した。

※・・・は判読できなかった文字です。


6/19

基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン 全国キャラバンFAX-MAIL通信

 みなさん、こんにちは。
 昨夜、沖縄・名護から上京中の輿石さんを囲んで=キャラバン前夜祭を行いました。
 以下のサイトのサイバーキャラバンでその報告を書いたところです。

http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/

 ご参照下されば幸いです。

 沖縄・名護をめざす全国キャラバンもいよいよ本日発進です。
 6・18三多摩集会・デモをはじめ、どこかで交流できれば幸いです。

 明日19日には「沖縄・名護へ向かう全国キャラバンFAX-MAIL通信」No.3をお届け
します。
 7月名護サミット、ヘリ基地阻止に向けお互い頑張りましょう。
 では、また。


基地 ノー、ヘルプ・ジュゴン 全国キャラバンFAX-MAIL通信   No.3 
2000年
6月19日
 月曜日

〒164-0003 東京都中野区東中野1-41-5 文学会館 Tel: 03-3366-4650  Fax:
03-3227-3657
郵便振替口座 00190-1-27941(コム・未来)
http://www09.u-page.so-net.ne.jp/xj8/nago/ nago@xj8.so-net.ne.jp

キャラバン出陣! 歌舞音曲にぎやかに集会・デモ

 全国各地のみなさん、こんにちは。
 6月18日、いよいよ沖縄・名護へと向かう全国キャラバンが出陣しました。3号
では、三多摩集会・デモの報告を中心に、高校生からのキャラバン応援MAIL、名
護現地の最新情報をお届けします。引き続き全国各地からのメッセージ、報告の
MAIL、ファックス、手紙をよろしくお願いします。

6・18三多摩集会・デモおおいに盛り上がる!

 6月18日午後、東京東中野で出発式をすませたキャラバン隊は、その足で府中の
「6・18三多摩集会」に合流しました。
 午後3時過ぎ、大田武二さんの講演、沖縄のサンシンの披露の間に、十数人のキャ
ラバン隊が拍手で迎えられて会場に到着しました。スリランカのJVP日本委員会も6
名がかけつけました。集会場は満杯で、ほぼ1/3が通路に座り込み、あるいは立ち
見の状態で、八十余名の参加者で溢れかえっていました。(写真左:講演する大田武
二さん)

 大田武二さんのお話は、前夜の輿石さんの語りと通低する、含蓄のあるものでし
た。沖縄における闘いの困難を正面きって見据え、なおかつ戦いの希望をしぼりだす
勇気溢れる内容でした。
 集会の最後に、キャラバン隊の面々が集会正面に並び、隊長の乱鬼龍さんが代表し
て沖縄・名護に向かうキャラバンの決意を表明しました。

 ついで、全国キャラバンの呼びかけ団体の1つでもあるスリランカJVP日本委員会
のサマン・プリヤンカラさんが挨拶をしました。70年代初頭、80年代末の二度に
わたる数万〜10万規模の大虐殺を経て、世界18ヶ国で国際的に活動を展開してい
るたくましい姿、それを基盤に、ヨーロッパ各地やオーストラリアで7・18−19
沖縄連帯の国際共同行動を大規模に準備していることが報告されました。(写真右:
演壇にならぶキャラバン隊と発言するサマン・プリヤンカラさん)

 屋内集会の後、デモ出発までの間、屋外で集会を継続しました。それぞれ自由に発
言し、「チマチョゴリの会」のにぎやかなチャングの乱打・踊りあり、サンシンの演
奏あり、爽快な集会となりました。世間では皇太后の死去に伴う、歌舞音曲自粛強制
が横行していますが、デモも含めてそれを吹き飛ばすにぎやかなフェスティバル。
(写真左:デモに先立ちチャングを打ち鳴らし舞い踊る)

 午後5時15分、いよいよ府中市内のデモ行進へと移りました。キャラバンカーを
先頭に、じつに元気のいいデモ隊です。運転手は、コム・未来から、マイクは部落解
放同盟の方。デモ隊の先頭はキャラバン隊で、チャングをかきならし渦巻き踊る在日
朝鮮・韓国の人たちが続き、元気はつらつの学生たちや、サンシンで歌う人たち・・
・多種多様なデモ行進です。道ゆくひとたちの注目を集め、声援が送られ、デモに合
流する人も。(写真下:府中市内をキャラバンカーを先頭にデモ)

 デモの後は午後6時半すぎから2時間余り、盛大な交流会となりました。手作りの
キムチ、煮こみ、にがうりなどを肴に、キャラバン隊はもちろんのこと、ほぼ参加者
全員が発言し、あちこちで活発な議論の輪ができる自由闊達な交歓の場に。

 6・18三多摩集会実行委員会の賛同10団体と賛同個人の皆様>ほんとうにご苦
労様でした。沖縄・名護に向かう全国キャラバンの門出を飾るすばらしい集会・デモ
となったことを感謝します。

 キャラバン隊は、本日より横須賀→浜松→名古屋→京都→大阪へと東海道を下りま
す。引き続き、各地でのご支援、後協力、カンパなどよろしくお願いいたします。
(写真下二枚:デモとその後の交流会)

 【なお、前夜17日 輿石さんを囲んで交流会=「基地ノー、ヘルプ・ジュゴン」
全国キャラバン前夜祭 は、東京平和電脳組−名護サポーター(東京)サイトの「サ
イバー・キャラバン」をご参照下さい。】

キャラバン応援します 高校生からのMAIL

Tシャツが今日届きました。
ありがとうございます。
これを着て、沖縄問題を見つめ、関心を広げていきたいと思います。

先週と先先週の日曜日に、「松代大本営跡」と近所の「三菱重工地下工場跡」を見学
に行ってきました。
どちらも、朝鮮人の強制労働の歴史があるので心が締め付けられました。
落書きと呼ばれるものには、日の丸に×印を書いたものもありました。
悲惨なものでした。

キャラバン応援します。
Tシャツとブックレットの代金と一緒にカンパ金を振り込みますので
本当に少ない額ですが、活用してください。 (長野:高校生Aさん 6月17日)

スクープ!! 辺野古のジュゴンの画像をゲット!! 他

 6月14日、ジュゴン保護基金委員会かつ二見以北十区の会の東恩納琢磨さんが、
辺野古沖にてヘリコプターからジュゴンの撮影に成功!山原・名護東海岸の十数頭と
予測されるジュゴンたちを、ヘリ基地建設によって絶滅に追い込まないように!青い
海をゆったり泳ぐジュゴンの映像を以下でご参照下さい。(写真下:辺野古沖を泳ぐ
ジュゴン、なご平和電脳組サイトより転載)
http://www.rik.ne.jp/edic/nagocnet/data/dugong.html

 また、1月に続き6月10日、「ヘリ基地いやです、一万人の声を!」ニューズレ
ター第2号が発行されました。高校生や若い世代をはじめとする生の声に共鳴!郵送
していただいたものをキャラバンカーにも積んでいますが、以下をご参照下さい。
http://www.cosmos.ne.jp/~miyagawa/card/index.html

(文責:津村 洋 2000年6月19日)


6/17

ペチャンコ日記

 近頃とみに体力・気力の低下したペチャンコは、若い人たちに伝えたい事がいっぱいある。

 中学生時代図書館で、「アジアの戦争」という本を読み、その本の中の写真に、日本兵が中国の民間人に対して、どんな悪業をしたか載っていた。中国女性に銃を向け、裸にしてさらし者にし、最後に殺してしまった。何と言う事か。怒りが込み上げつらい思いをした。

 大人になったらきっとなんとかしようと心に決めて、がんばってきた青春時代。20歳の時に、親友が死んだ。七夕の夜、踏み切りにお腹の児ともに横たわりゆきし友。再びは来ぬものを、七夕を祝う夜。男にだまされて身篭ってすてられて、死を選ぶしかなかった。

 素晴らしい友達だった。女の子も男の子も、泣いて叫んで訴えた。大人たちはあまりにも冷たかった。友の死が皆を変えた。きっといつか、この制裁はしてやる。心に誓ってひたすら働いた。児の母になり友の分まで幸せになってやろうとしたのに・・・。

 この人生、クスリなしでは何も出来ない体になっても、選挙には必ず行く。心置きなく悔やむ事のない投票をしようと思う。友の供養のためにも、平和な世界を守るためにも。

街に来てみて

 私は、5月1日から街に来ています。

 街に来たきっかけは、お母さんがお客さんで来ていたので、私は通りがかりの人でした。働きたいなぁと思いました。(お母さんに言われてやっと知った。)いろいろな事も勉強しながらやっています。

 5月31日に初めて給与をもらって、すごくびっくりした。私は6年間、麺を作っている会社にいました。そこは、祝日休みがありませんでした。(すごく辛かったです。)街に来て、祝日休みなのでよかったと思いました。

 街に来て1ヶ月経ちます。街のみんなに逢えて本当によかったです。


6月@ 7月@
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