チャンプルーハネやん..
Part・4 はじめて病を受け入れた時 

デイケアの日々もなにがなんだかわからなくなってきた。「プログラム」というのも最初はリハビリと思い一心不乱にやったが、やがてほとんど参加しなくなった。

 近所の「ガスト」でメンバー達と一緒にフリードリンクだけでねばる。中にはちゃっかり何も注文せずに「お冷や」のコップでジュースを拝借する者も・・。「わかば」のたばこを吸っていたりで25歳ではいささか参る・・・。そして薬の話しでおおいにもりあがる!!。メンバー同士でのけんかざた・・・。ちょっと疲れはてていた。せめてもの自分の支えであるオートバイにのって海にいきたいと思った。どういうわけか人というのはなんかあると海に行きたがるのである。デイケアの終了ミーティングが終わるのが午後3時半。そのまま何回か鎌倉までいった。

 「もうどうにでもなれ!!」と言う思いで安定剤を飲まずに第3京浜に乗る!春の風がバイクにはまだ寒い。震えながら走る。それよりもなにも怖くて怖くてろくすっぽスピードが出せない!!。50キロ位でとろとろ走るがそれでも抱えきれないほどの「不安」が体中にまとわりついて大きな標示さえも見ることができない!!。どんどん暗くなってくるのがわかる。何も見えない気がしてくる。どちらにむかいどの車線を走るべきなのかも意識のなかでさだかでない。

 死ぬほどの思いでやっと鎌倉に着いたのは、もう海もよくみえない8時ほどだった。へとへとの気持ちの中で砂浜にへたりこむ。

   「日の沈む海さえも神様は見せてくんないのか・・・。

 しかたなく夜の鎌倉で座り込みまたヨガのまねごとをする。茫然と月をありありと眺める。せまってきそうな月に心で語りかけても何も返ってこない。ただこれまで見たどの月よりもはるかに馬鹿でかくリアルに月が見えたのはおぼえている。10時近くまでそうしたあとしみじみと海辺の方へ歩いてみた。バイクで50キロも出せなかったのが思いだされた。

  「オレハ モウ オワリ ナノカ・・・」

呟くとわけもわからず泣けてきた・・・。さめざめと泣く。

  「うっうっうっ・・・」とみっともなく嗚咽しながらとぼとぼと海の方へ近づく。やがて立ち止まってめそめそとさざなみの近くに立ち波をながめていた・・・。す〜〜ると・・・

 「ザ〜〜〜ッパ〜〜〜〜〜ン」と音をたてて高波が僕をおそった!!!!。涙ともども海水でずぶ濡れになってしまいなんだか無理やりと我に返らされた僕がいた!?!?。

 「〇×Ω!?ウキャ〜〜〜〜〜ッキャッキャッキャッ!!!!」
 「うぅ〜〜〜〜〜わああああははははは〜〜〜〜!?!?!?!?」。

    僕は笑い転げてしまった!!!

      笑った!! 笑った!!! 笑ったっ!!!

 波打ち際を飛び跳ねて猿のように駆けずりまわった!!!

 なんだか可笑しくてしょうがなかった。もう10年ぶりくらいに腹のそこから笑った気がした。やがて海にむかってジョロジョロ立小便をしてその海水でいけしゃあしゃあと安定剤をゴクゴク飲んだ!!!。何が起きるのかまったく予期できないこの世界がとてもいとおしく,懐かしく,そして素晴らしいものに感じられた!。

 いつしか思っていた・・・

 「生きてやるぞう〜〜〜!!!

 薬でも何でも飲んでやらー!!

 なんでもやっちゃらあ〜〜!!

 生きて生きて生きてうろついたるぞう〜〜〜!!!!!」
と坂本竜馬に扮する武田鉄也よろしく海にむかって胸を張って立っていた。そしてもううきうきしながら「安全運転で〜〜す」とばかりにとろとろと,安定剤の力も借りめでたく楽しく五反田経由で家に帰った。「なんでそんなに病気なのに堂々としてるんですか?」などと不思議そうに言われることが今の僕には多々ある。
 振り返って考えてみると,あの日・あの時、夜の鎌倉でびしょぬれになったことがまず思い出される。「はじめて病を受け入れた時」があのときだったのだと思う。それにしても今思い出してもあれは面白かった・・・。ほんと「生きてること」はまったく予期せぬことの連続で面白いんである。だからどんな不幸があろうとたいしてかまうことはない。また「なんか」に転がってくもんだと思う。

   

 


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