ハネやん、頑張れ!
「大腸ガン手術」のスケジュールが決まりました。

2003年
1/6 ハネやん・55才誕生日パーティー、
1/7 入院
1/14(火)手術ということになりました。

僕のいない間、「街」のみなさん、頑張って下さい! 
そして無事と成功を祈っていて下さい!

 本日より連載 
ハネやんから学んだこと
来月、手術をひかえているハネやんに「街」のみんなから元気の出るエールをおくります!
  羽やんと出会って/次郎
   僕が羽やんと初めてであったのは、今から6年前「街」の2階でした。
   あった時はとても緊張しました。それと同時に期待感も感じました。
   それで「街」で一緒に働くことになりました。
   当時いたメンバーに羽やんは平等に優しく接していました。
   みんなの食事を作って、「街」の仕事もしていました。

   その中で色々なもめごとなどもありました。羽やんはそういったことを一番で
   話の中に入っていったと思います。そういう人間的な羽やんにひかれました。
   「街」が無かったら僕は今頃入院していたかもしれません。
   
   羽やん!ありがとうございました!

   これから僕もなにがあるかわかりません。羽やん、「街」の皆さんと話をして、もちろん
   僕も色々な人から話を聞いて、人間らしく、僕らしく生きていきたいと思います。

「街」、名護市長選に総決起 (^o^)丿
「街」のミーティングで、ハネやん&則子さんが1月24日、富田さん・チューやん・洋平君が27日前後に、
沖縄・名護へ出発することが決まりました。 
連載 その2
ハネやんから学んだこと
 人が変わろうとする時/   チューヤン
人がそれまでの生き方を捨てて、新しくやりなおそう、と決心する、その瞬間にたちあった。 
「街」のメンバーのTさんはそれまで自殺願望が強く、対人恐怖症。つらいことがあると、すぐ自宅ににげかえっていた。

 その日、Tさんは、もう「街」をやめて自宅に帰り、デイケアでテニスでもして一生暮らす、といいだしていた。「街」では、まず、親御さんと話し合った。逃げ帰ってこようとする我が子を突き放すことこそが、親としてとるべき態度であることをなっとくしてもらう。覚悟を決めてもらうことが必要だった。

 だれも我が子が不幸になってほしい、と思う人などいない。だがやさしく受け入れることは決して子どものためにはならない。(自己満足にはなるが...)逃げ癖が助長されるだけだ、とつたえた。
 そして、その後Tさんとお母さんに「街」のミーティングに参加してもらった。

「もう、あなたの戻ってくる場所は、家にはないのよ。」と、言い渡すおかあさん。「お父さんがもうすぐ定年退職するので、2人だけで暮らす小さな家にうつるつもり。」

子どもを突き放す決意をしたその声は少し震え、お母さんの体からは一大決心をした、オーラのような、波動のようなものがビリビリと発せられていた。そばにいた私にも、その緊張がひしと伝わってきた。
 もう我が家に逃げ場は用意されていないのだ、と悟ったTさん。退路をたたれ、ショックを受けたようだったが、そのご、グループホームで共同生活をしながら「街」へ通う生き方をえらんだ。

 「にげる」ことをしなかった。それからTさんは、自分の人生を自分で握りしめることを少しずつみにつけていった。逃げるか、逃げないでふんばるか。決定的な岐路だった。
                  ハネやん語録は、次回にのせます。 
ハネやんの新パーカッション、ここでも子供に大人気です。子供が「小泉たたき」をする デモに出発 (^o^)丿

連載 その3 
ジュゴンの家より
ハネやんから学んだこと 晋くん
 ハネやんは面白いおじちゃんです。僕たちに色んなことを教えてくれます。そして「ダメな事はダメ!!」と、差別や理不尽な事に対しては、体をはって向き合います。

 「ここは人生の大学だよ」とハネやんから聞いて、2年前に沖縄に来ました。本当に人生の大学でした。色々な人の生き方を見せてもらいました。自分らしく、人らしく生きる事の大切さを、人の背中を見て学んで来ました。

 僕にとっての「自分らしさ」は、人らしく生きること。人らしく生きることは、名護に基地を作らせず、まよなかしんやさんが言うように、人権・環境・平和を自らが作っていくこと。僕は、今は演習地となっている辺野古の海を解放し、取り戻したい。辺野古の海で釣りをして、三線を弾いて生きていきたいなぁと思います。

 志を持って、誇りを持って生きていくことを、ハネやんから教えてもらいました。
    ありがとう、ハネやん!! 

 まだまだ僕は、自分らしさ、人らしさを見つけている最中だけど、だからこそ闘う!! 韓国の中学生の涙に、辺野古のおばあ・おじいの生き方に答えていくために、そして、「街」精神を受け継ぐために。

 ハネやん、ハネやんの言っていた「面白い時代」がやってきたね! 
一緒にこの世の中をひっくり返してやろう! 
まだ夜明け前だ、朝日がのぼる所まで、一緒に行こう!
6.23 「有事三法案 絶対反対」と書いたうちわをかざしながら小泉首相に抗議!
沖縄全戦没者追悼式で、小泉純一郎首相にうちわをかざし抗議する北中城村議の宮城盛光さん
沖縄全戦没者追悼式で、
小泉首相にうちわをかざし抗議する
北中城村議の宮城盛光さん
宮城盛光さん、やったぁーっ!
★この日、「ジュゴンの家」の人たちも、「小泉帰れ!」の抗議をしました。宮城盛光さん、万歳! 今度の村議選の応援に行きますので、 また一緒に飲んで・唄って・踊りましょう (^o^)丿 宮城盛光さんの抗議写真と新聞記事をプリントして店の前に飾ってます。

ハネやん、こんにちは。
次から次と大災難ですね。手術の無事成功を祈っています。最近は医学も進んでいる
からがんも不治の病ではなくなっているようです。でも養生してください。無理は禁
物です。がんばって。

高見元博

6月30日(日) 
11時過ぎ、サギリちゃん、沖縄へ出発 
\(^o^)/

連載 その4
ジュゴンの家より
ハネやんから学んだこと   うららちゃん
ひきこもりをしていた私が東京の「街」に6年前一度行った時以来、ずっとハネやんは私の知らない所で、私の母の相談を受け、私に関わり続けていました。

 そして、1人でいる事に煮詰まり、精神病院に入院して退院して、現実の自分が辛くて「もう生きていられない」と(今思うと甘えるなという話ですが)思っていた私に、生まれ変わるチャンスをくれました。自分以外の人達のことを思えるようになれた。現実の世界を手に入れることができました。

 時々はキツくなる事もありますが、今まで出会った人達のこと、今現実に苦しんでいる人達のことを思えば、闘志と勇気が湧いてきて、また頑張ろうと思えます。私はやっと手に入れた現実にしがみつきます。人との関わりをあきらめないことを、ずっと関わってくれたハネやんから学びました。

 これからも成長する。
 頑張ります。 

「街」の旅行。全然、元気なハネやん。
この後12時近くまで飲んでました。
11/7(木)

7・28 有事法制反対 渋谷街頭宣伝
 リハーサルで一曲。「街宣車の上って、揺れるのね」 「う〜ん? サクちゃんのボーカル、聴き取れないな?」

連載 その ハネやンから 学んだこと  チュ‐やン
 「街」を知って、ハネやン、則子さんの生き方を知って、私は人生を大転換する事にきめました。それまで障害児を育てながら、いわれもない差別を受けたり、気持ちの悪い同情をされたり、また、勝手に「共感」の名のもとにすり寄って来る人もいた。悔しい思い、怒り、そんなものは充分あったつもり。でもそれを個人的なくやしさから、もっと大きく視野を広げ、社会全体に目を向けることこそ大切なのだ、と、ハネやンは教えてくれた。この事がストン、と腑に落ちた時、ただの主婦だった私でしたが、今の社会に、あらゆる差別に、黙っていることができなくなりました。

 そして、今年の3月、大阪で全国連の大会に参加して、自分の中に、なんと怒りが足りなかった事か!!、おもい知りました。理屈なんかではなく、理不尽な差別に対しての心からの怒り。はねやんが「怒り」が足りない、とよくいっていた意味がこの時やっと分かった気がしました。・・・こ、れ、だ、と思いました。これを握り締めていこうと自分に“決め”がこの時できたのです。

 そのうえで、闘いを楽しむこと。心から楽しむ事。その先に希望があることを指し示してくれるハネやんのおかげで「街」はいつも元気です。「怒り」ながらも、でも、楽しく闘っていきたい!! 関町の地域の人達、1人でも多くの人達との日常の生活を大切に、地に足をつけて一つ一つ積み上げて行こうとおもっています

<私の記憶にある、ハネやん語録>
                 
 ・あきらめない事
 ・「希望」が見えると、元気に続けられる
 ・本気で”勝ちたい”のなら一生懸命考えよう。とことん考えよう!
 ・楽しく闘おう!
 ・怒り、こそが、闘いのエネルギーだ
 ・自分の持ち場で全力をつくせ


 ・熟考して話そう
 ・話す時は核心を突きながらもユーモアをちりばめる
 ・初めて来た人にはまず、また来たくなるように話そう
  ワクワクして帰ってもらう
 ・自分たちが心から楽しんでいる事を知ってもらおう
 ・下品な話し(身内話)はしない
 ・いつも自分のありかたを疑え!おごり高ぶるな。

 ・自分の足にあった靴をはこう
 ・「高い志」、「素直な心」、「意地」がある人は変われる 

 ・人をうごかすのは理屈ではなく、情だ!!
 ・わかったと言う事は、行動することだ
 ・日常を大切にしよう
 ・今できることをしよう。考えても無駄な事は考えるのを棚上げしておこう。
 
 ・「食」は文化だ。 「食」を大切にしよう
 ・ケチケチするな。お腹いっぱい食べてもらおう
 ・他人の「命」を食べている事を思え

8・11 砂川


連載 その6
ハネやんから学んだこと   直子
 私は付き合いの長いこともあり、沢山のことを羽やんから教えてもらった。

 でもそれは本当に”学べたこと”なのだろうか?と自分を問い返している。
 そう、羽やんがいつも言うように『学んだということの唯一の証は変わる事』なのだから・・
  
 人は本当に変わることなんて出来るんだろうか?
 それは学生時代からの私の心の中でのひとつのテーマだった。
 「働きかけによって、人は必ず発展的に変わるものなんだ」学生時代によく聞いたスローガンだ。でも私は、ずーっと半信半疑でここまできていた。
  
 ”街”で出会った若者たちは それを打ち消すように私の目の前で何人も変わっていった、しかも、めざましく。あの何も話さない目でしかものをいわない女の子は”頼りになるウグイス嬢”をやってのける人となった。気に食わない人を見れば殴りかかってしまう青年は今さわやかな職人となって私たちの前に登場する。ピーコートをきたパソコンマニアな男の子はジュゴンの家になくてはならない沖縄の人となった。そのたびに私は、感動した。そして いまも感動し続けている。彼らはなぜ 変わることが出来たのだろう。

 それは羽やんが体当たりで教え続けてきたことを”学んだから”なのだ。
 人が類として生きること。わかちあいということ。を毎日の食べることを通じて羽やんは教えてくれた。いつも工夫された、こころのこもった料理を毎日毎日作ってくれた。
 今、巷では食べさえすればいいなら何だってある。マクドナルドでハンバーガーを食べればおなかは一杯になる。松屋で牛丼を食べれば290円ですむ。羽やんの作ってくれる料理はそれでは”魂を売り渡しているようだ”ということを語らずとも 教えてくれた。

 食べるもののひとつひとつに命を育ててくれた人の思いがある。そして同じ釜の飯を食べる仲間がいる。集会にでかけるときも いつもおいしいおにぎりを食べて元気をもらう。他の人たちにも分けると「おいしんだよなー街のおにぎりは」といってたのしみにしてくれる人がいる。分かち合うことの楽しさ、人と関係を結ぶことの大切さ、面白さ、いつも羽やんが食べることを 通じて示唆してくれた。
 そのことをわかった人はみんな変わった。
   
 私が学生時代から考えていたことは少し違っていたということがわかった。人は働きかけによって変わるのではなく 働きかける主体自身が学んでまず変わるんだ!
 
 今年一年間の 沢山の闘いの中で このことがよーくわかった。
 全日空搭乗拒否で 全日空に行ったとき どれだけの人があの大きな航空会社が社内規定を変えようと  思っただろう。私たちは 抗議に行った、そして全日空は差別規定を変える。
  『やれば 必ず勝てる! 大儀は私たちにある限り』そして 『決してあきらめないこと』
  羽やんが 命をかけて 教えてくれたこの言葉を忘れないで これからもやるぞーー!!
 
 ♪ 私にできることはひとつ〜闘うことだけなのだ〜♪ 
    とみた なおこ

  おまけの羽やん語録
  『いつもいつも誰かがかじを取ってくれる船に乗れるわけではないんだよ』
  『負けるけんかはするな、そのけんかに人生をかけていれば負けるわけがないんだ。
   そしてけんかをすることは支援者をつくることでもある』
  『人は100%死ぬ。だから 死に向かってどう生きるかなんだ』
  『”何が出来ない”から出発しないで”何ができるか”から出発するんだ』
  『人は言葉で説得するか、態度で説得するかのどちらかだ。何か持っているけれど
   表現できないなら まずその自分を壊さないと表現できない』
  『たとえば、川田龍平さんの話をきいて心が震えたら、こころは変われる』
  『つねに”街、ジュゴンの家のための闘い”と”街、ジュゴンの家としての闘い”の両面がある』
  『相手に添って話をしていくこと。楽しく闘いが出来るということを感じさせられるかどうか』
  『一日一日やれないということは365日やれないということだ』
  『何故うららちゃんは変われたのかーそれは逃げなかったからだ』
  『自分たちの仕事は”魂”の世話なんだということがどれだけわかっているか』
  『大事なことは人ときちんと向き合うということ』
  『日々 自分の意見を言っていくことをしなければ 肝心なときに話ができない』
  『どういう顔をして どういう言い方をしたら相手に伝わるのか考えること』  

イラク侵略戦争阻止! 有事法制粉砕! 12・8 全国総決起闘争
集会の最初にヨッシーとジュゴンの家15名でライブ。2日前に「医療観察法案」が強行採決された事に怒りをこめて「心病んでも」と「イラクの子どもたちは今」を熱唱。

連載 その7
ハネやんから学んだことヨッシー 
 ハネやんは、僕達にとって育ての親であり先生だ。振り返ってみるとハネやんは常に僕にチャンスを与え続けてくれた。それに僕はずっと応えられなかったし裏切りもした。

 音楽に関して言うと、今僕が歌っている歌ははねやんが居なかったら生まれなかった。沖縄料理店チャンプルー街で歌わせてくれた。まよなかしんやさんをはじめとする本物のシンガーと出会う事が出来た。そして僕に世界を教えてくれた。今ハネやんはガンになりながら食事を作り、みんなのことを考え、人が人らしく生きられる世の中を作る為に、今まで以上の闘志を燃え上がらせている。今こそ応えよう! ハネやんの子ども達立ちあがれ!!

 僕は9年前にバチルスという4人組のバンドで沖縄から練馬にきた。一緒にきた徳ちゃんが街の人たちと付き合うようになり、僕達を紹介してくれた。羽やんは僕達の曲を良いと言ってくれた。僕はびっくりした。40を越えたおじさんが僕達の曲を気に入ってくれるなんて変わった人だなあと思った。

 それから日曜日の夕食会に参加するようになった。いままで見たことのない個性的な人達が言いたいことを言い合ってわいわいやっていた。初めて見た世界だった。

 羽やんと則子さんはいつも人のことに一生懸命で、僕は「この人達,人間か?神様なんじゃないか」と本気で思っていた。当時僕は自分のからに閉じこもっていて1年のうち360日くらいは心が重苦しい生きづらさをかかた若者だった。その頃羽やんの言葉で心に残っているのは「幸せに敏感になれ!」と「人は変わる」だった。当時の僕は理解できなかったし、「人は変わる」なんてとても信じられなかった。けれどそのことがずっと心に引っかかっていた。今は信じられる。なぜなら 「街」や「ジュゴンの家」の人達が変わるのを見たからだ。しかも短期間で劇的に変わる人もいる。変わるということは、人間になると言うことだ。

 人は誰でも人間になりたいと願っていると思う。だけど羽やんが言う所の「いまある不幸にしがみついていたい」というのもあるし、変わるのが怖い、また変われるなんて信じられないという思いがあると思う.僕がそうだった。そんな時ハネやんは「人は変わる!」と断言した。そんなことを言う人に会った事が無かったし、今も「人は変わる」と言いきる人にあったことがない。僕にとっては「太陽が地球の周りを回っている」と信じていたのに「地球が太陽の周りを回っているんだ」といわれたのと同じようなことだった。

 1997年バンドをやめた。その年の10月10日、「街」で知り合った人と結婚した。「街」の人たちは盛大なパーティーを開いてくれた。羽やんは結婚に反対したが、則子さんと仲人をやってくれた。しかし2年で離婚した。僕が人とちゃんと向き合えない人間だったからだ。「街」やチャンプルーにもいかなくなった。今考えてもぞっとする日々だった。偶然チャンプルーのお客さんの金本さんに会って,「おいでよ」いわれ2年ぶりにチャンプルーに行った。本当はすごくハネやんと則子さんに会いたかった。チャンプルーには新しい若者が沢山いて、セブンスローズという素晴らしいバンドが演奏していて,活気にあふれていた。それから、僕は少しづつ人の輪に入っていけるようになった。

 則子さんが平滑筋肉種という病気になった。余命2年。いつも元気な則子さんが手術や抗がん剤でだんだん弱っていく。「死なないでくれ。」祈り続けた。今則子さんは元気だ。毎日一緒に働いている。本当にありがたい事だ。このありがたさを忘れてはいけないと今書いていて改めて思う。あの時のことを思えば何事に対しても怖れてはいけない。怖れるにたらずだ。

 僕は「街」で働かせてもらう事に決めた。「街」で働くようになって、お客さんや「街」の人たちとの生活、そして全国の戦争や差別と闘う人達との出会いによって僕は人を信じる事ができるようになった。しかし羽やんをみると僕は全然努力が足りない。羽やんは努力の人だ。今改めて今の自分を越えて日々闘うことを誓う。だから羽やん死ぬなよ。絶対病に勝ってくれよ!


連載 その8
ハネやんから学んだこと   ヨッシーマリ 
 傲慢で逃げてばかりいる私に、ハネやんは何度も「あなたは分かっていないね。あなたにとって一番大切なものは何なの? 大切だと思うなら、今の自分の考えを全て捨てなさい。きちんと自分と向き合いなさい。自分の人生を握りしめなさい。」と言い続けてくれました。その言葉をやっと理解できたのはハネやんが入院し、1人で料理を作るときでした。

 あせってしまい、失敗の連続、皆を喜ばす事もできず、私は何をやってもダメなんだ、と決めつけ、次へと進めず自分をどう保っていいのか分からず迷っているところに、入院しているはずのハネやんが「おはよ〜。今日は寒いからうどんね。」と、買い物袋を持って2階へ上がってきた。

 「入院していてもつまらないし、1人で色々考えてもしょうがないじゃない。今、やりたい事をやる。これからは通勤入院します。」と明るく楽しそうに言っている。

 「えっ?なに?どーして?」と思う反面、すごいよ!!私が今まで信じようと思ってきたものは何だろう?全てが崩れ落ちていきました。自分自身が恥ずかしくおもえました。

 人を信用するには自分が信用されなくてはいけないし、よりよく生きるためには前向きで楽しんで日々を過ごし、考えても仕方が無い事に対しては今出来る事をやろうと思いました。

 生きる道を教えてもらったんだ。私もいつか「私はただの料理人です。」と言えるようになりたい。そのために私は負けない、絶対にあきらめない。ハネやん、心の料理を教えてくれてありがとう。

ハネやんの部屋へ
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