オープンスペース街・日誌

2000年3月A
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3/31
 則子さん退院&「チャンプルー」
 昨日の午前中、則子さんは富田さんのお迎えで無事退院しました。丁度、一週間の入院でした。

 「チャンプルー」で昼食をとってから「街」に行って皆にご挨拶。犬のマックも大喜びでした。それから家に帰って一休み。抗がん剤の副作用で少し痩せましたが、今話題のミツバチが作るプロポリスを飲んで体力の回復に努めています。これは6.3 すべての命のチャンプリズム・コンサートの実行委員会に来たジュゴン鈴木さんのお勧めなので、信じるものは救われる、少々高いけど何もしないよりは回復する可能性に賭けることにしました。

 「チャンプルー」で晩飯を食べてから、退院初日からもうエプロンをつけて女将さんをやっています。「チャンプルーで死んだら本望」との発言。ケンちゃん、仁君&直ちゃん、ユッ君、ヨッシー、ノンフィクション作家の川田文子さん、元気なおばさん・佐藤さん、役者のナイキさん、皆と夜遅くまで語り合っていました。

 今日は、レコーディングを終えた知念良吉さんが沖縄に帰るので、最後の実行委員会出席になります。4月にはまた戻ってくるかもしれません。


3/29
 則子さん情報

「桜が咲いた」。病院に行ったら、則子さんが行ってました。彼女は明日、退院します。次回の入院は5月の予定なので、4月はずっと関町で暮らすことになります。会いたい人は、午後は『街』に、夜は『チャンプルー』に来て下さいね。


3/27
 『街』様/クラブハウス めぐろ

こんばんわ。
いつもホームページでしか見ていませんが、それと二宮さん(*「自由広場」)を通してたまに聞くこともありますが、着々とネットワークを拡大しているのを見ています。僕たちは、「目黒作業所を作る会」をやめて、「目黒精神保健を考える会」として、昨年の9月以来「クラブハウスめぐろ」を原町に立ち上げ、細々と活動しています。今の所補助金はもらえず、経済的には苦しいですが、何とか持続していこうと思っています。

 「クラブハウス」や「作業所」と言う呼称には抵抗がありますが、地域の精神障害者や市民がより集うスペースになればと考えています。同時に、障害者の問題とも関連する今の社会(健常者中心の社会、それも最近はほころびつつありますが)を問うことの出来る実践内容を作り上げていきたいと個人的には思っています。

 今度4月に街とチャンプルーへのツアーを計画していますので、ご挨拶と言うことでこのメールを書いています。4月21日の予定ですが、よろしくお願いします。

 また、なかなか僕たちのホームページの内容は今ひとつの所がありますが、最近久しぶりに更新しましたので、見て下さい。よろしければ、街とリンクをはらせてもらいたいと思っています。

 9月には、目黒でまよなかしんやさんや、太田武二さんを呼んでコンサートを計画しています。5,6,7月と沖縄はスケジュールが入っているので、そうなりました。
それでは、失礼します。

  CLUB HOUSE MEGURO  クラブハウス・めぐろのホームページ 


ご無沙汰しています。ハネやんです。

>昨年の9月以来「クラブハウスめぐろ」を原町に立ち上げ、細々と活動しています。今の所補助金はもらえず、経済的には苦しいですが、何とか持続していこうと思っています。

『街』も最初の3年間は、補助金なしでした。
振り返って見れば、当時の方が維持・継続させる為のアイデアが沢山浮かんだ気がします。危機意識があると必死さから良いアイデアが生れ、逆に、余裕ができると危機意識がなくなり、守りに入ってしまうみたいですね。ちなみに『街』の姉妹店みたいな小平市にあるリサイクルショップ「カジャ」は、オープンして、もう6年近くなるのに未だに補助金なしです。

>今度4月に街とチャンプルーへのツアーを計画していますので、ご挨拶と言うことでこのメールを書いています。
>4月21日の予定ですが、よろしくお願いします。

了解しました。お待ちしています。

>9月には、目黒でまよなかしんやさんや、太田武二さんを呼んでコンサートを計画しています。5,6,7月と沖縄はスケジュールが入っているので、そうなりました。

命どぅ宝ネットワークでは、4.28に第10回の「命どぅ宝・平和世コンサート」を企画してます。
『街』&『チャンプルー』は、店を休んで行くつもりです。

『街』では6月3日、上野水上音楽堂で、6.3 すべての命のチャンプラリズム・コンサートを企画しています。バリアを越えて、差別されている人たちの大きな連帯を作りだしたいと思っています。クラブハウス・めぐろも是非、参加してください。

その力で、沖縄に行って、サミットに反対するユニークな活動をしたいと考えています。それでは。


3/26
則子さん、頑張ってきてね/えばっち

 京都からキーサンパワァーーーをガンガン送ります。
 あっ、送らん方がエエかな。
んでも、病院のベットに向けて、きっと全国各地からのキーサンパワァが送られまっせ。
うん、送られると想います。
わぅおおおーーーーーーーんんんんん!!!!!

また、会いましょう!!!その時が楽しみですね。

「総理歌」「都知事歌」は、ほんま、サイコーやなぁ。
よっしー、ありぃ、直接聞きたいぜい。わおぅ!!!

メール日記通信のような毎日ですが、なんとかみんなでやっています

そうそう、チャンプラリズムコンサートのビラみんなの部屋に貼りました。
エエ絵ですね。

         では、また、えばっちより

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
前進友の会・やすらぎの里

 『チャンプルー』ナイト

 えばっち、どうも・どうも。23日に入院した則子さん、化学療法の初日は薬の影響で吐き気がしてとても体調が悪そうだったけど、昨日は顔色も良くなってました。日曜だから、みんなで面会に行ってきまーす。勿論、えばっちのメールを持っていくよ。

 6.3のコンサートに向けて、『チャンプルー』では日々練習を重ねています。金曜は定例のチュウやんの息子・洋平君の「ハウス街」での宿泊体験の日。「ハウス街」に行く前にヨッシーのミニ・ライブ。そこにアリちゃんと、ハネやんジュニア・ユッ君と洋平君の二人の10代コンビが加わり「総理へ」「都知事様」の練習。2度目とあって洋平君「総理ぃぃぃーっ」とか「都知事様ぁぁぁぁーっ」とコーラスをしてノリノリでした。その後、宿泊サポーターのヨッシー・ユッ君を引き連れて「ハウス街」へ。ゲーム「電車でGO」を楽しんだようです。

 ハネやんが帰った頃にはもう、みんな寝てました。朝、ハネやんは寝過ごして物干し竿売りのスピーカーで起こされた。「アーッ、もう8時半だぁぁーっ」あわてて1階の洋平君専用の和室に行くと、布団の上に正座して彼は座っていた。早起きの洋平君、その格好で2時間以上いたのかな「スマン・スマン」。急いで朝食のハムエッグ&トースト&ポタージュを食す。9時半頃に、ようこちゃんが迎えに来て一緒に「『街』へGO!」

 昨日の『チャンプルー』もコンサート特訓?! の前に、みんなで晩飯。豪華トンカツにシジミ汁。「美味かったなぁ」 「自由広場」相談員のモトハル(陽和病院患者会)、土曜日の電話相談担当・ユカリちゃん、瞬間家出してきた『街』の佐々木さん、そこにアンプとギターを持ってミック(ほっとスペース八王子)がやってきた。舞台衣装となぜかロン毛のカツラも持参。「当日、多田さんに被ってもらうの?」と言いながら、みんなで被ってみました。

 先日買ったエレキ・ギターを教えてもらいに、近くの病院のデイケアに通っている人が家族と一緒にやってきていて、ミックが弾くギターに感激していました。

 カーミーズの亀谷さんご夫妻も登場。戦争反対の歌、沖縄の歌、啓子さん、花粉症にもめげず新しい歌を披露してくれました。その後で長一郎さんがアリちゃんにギターを教えていました。

 モトハル、ミック、佐々木さん・・・三者三様にはじけて、とっても変な晩でした。


3/25
戦闘宣言 最高裁闘争に打って出よう

大阪高裁吉川反動差別判決徹底弾劾し、最高裁闘争の勝利を
現場労働者の力で職場に戻る運動の展開を
全逓大改革で郵政公社化=民営化を粉砕しよう
高見元博

3月22日、私たちは誰しもが勝利を確信して大阪高裁判決を迎えました。事実調べも一切無く、神戸地裁判決が覆るいかなる理由もなかったからです。しかし、大阪高裁吉川は処分を追認するためだけの反動差別判決を下しました。
いわく「精神病者」に障害者雇用促進法は適用されない。能率のわるい「障害者」の首をきるのは当然であると。しかも一切の事実調べをしていないのに、事実認定を逆転すると言う不当でたらめきわまることをしているのです。

大阪高裁吉川のでたらめな差別判決  
 大阪高裁吉川判決の特徴は、神戸地裁判決で勝利したまさにそのポイントについて一言も触れることができないと言うことです。神戸地裁判決は、主治医以外の医者への受診命令が、「精神病者」にとって強制入院の恐れがあったことを認定し、受診命令拒否に正当な理由があるとしたのです。高裁吉川が逆転判決を書くというなら、この点がまちがっていると書かないといけないはずです。ところが一言の言及も無いのです。強制入院の恐れは無いとは書いてないわけです。それでいて受診命令拒否に正当な理由がないと言う。はっきりいって神戸地裁判決を覆すことができなかったと言うことです。結論は首切りを容認しなければならないということだけがあり、理由がつけられてないという判決です。なんの説得力も無く、ただ首切りは正しいとだけかかれているのです。論理性も何も一切無く、「精神病者」を排除しなければならないから差別するということなのです。

「障害者」の労働する権利を全否定  
さらに、「国に対してそのような職員でも、職場環境、勤務条件を変更してまで、その雇用を継続すべき義務を課しているとはいえない」「公務能率維持及び適正な確保ができなくなってしまうからである」と言っています。「障害者」の雇用の促進と言う義務は国に無く、能率維持が一切であると言うことをはっきりと言っています。「障害者」の雇用にあたっては、何らかの職場環境と勤務条件の整備が必要です。「身体障害者」であれば設備整備が必要なわけですから当然です。神戸地裁判決はそういう論理で書かれている。

 必要な条件整備もせずにただ首切りを目的に首をきったのは不当な差別であると言うのが神戸地裁判決の論理です。
条件を整備すれば働きつづけることができたはずだと言っている。「障害者」の雇用促進のためには当然のことを言ったのが神戸地裁判決です。大阪高裁はこの論理を崩すことができない。だから、そもそも「障害者」の雇用は必要ないという露骨な差別論理を展開しているのです。大阪高裁は、「障害者」を雇用する条件は、職場環境、勤務条件を変更せず、施設の整備も行わず、能率が維持される場合だけであると宣言しているのです。事実上の門前払いです。どこに障害者の雇用促進とか、ノーマライゼイションとかがあるのか。

 当局は、「『障害者』の人権擁護、福祉の増進という義務は郵政省にはない」と言って控訴したわけですが、大阪高裁吉川の言いたいことはまさにそこにあるのです。

郵政民営化攻撃そのものの差別判決  
これはどういうことか。まさに、これが郵政民営化ということです。資本の利益と利潤追求こそすべてで、「公務能率」に至上の価値があると言うものです。資本の利潤追求の妨げになる「障害者」を雇用する義務は企業に無く、障害者雇用促進法や憲法よりも利潤追求のほうが価値があると言うものです。憲法に定められた平等権も労働する権利も、「障害者」には適用されないと言うのです。

 民間大企業での「障害者」雇用とは、「健常者」並以上の能率を要求するものであると言うのが一般的です。「重度障害者」が雇用されることはありません。それも不況の中で次々に首をきられていっています。郵政も公社化=民営化でそういう「民間並」をやるということです。大阪高裁吉川はそのために差別判決を下したのです。郵政の差別政策は、活性化計画での「病者」排除攻撃に始まり、今の人事交流=強制配転での「病者」への排除攻撃へと続いています。とくに強制配転は、「病者」を狙い撃ちに強制配転し、退職に追い込もうとする卑劣きわまる攻撃です。高裁吉川判決はこれに呼応するものとしてあります。神戸地裁の勝利判決を維持することは国家意思に反するものとしてあったということです。高裁吉川判決は、その地平を破壊するというだけのために書かれた差別文書です。

労働者の勝ち取った「障害者」の権利の全否定  
「障害者」の生存権、平等権、労働する権利を定めた憲法よりも、弱肉強食の資本の原理が優先するということです。
労働者の地域社会、職場で「障害者」とともに生きるというあたりまえの感覚があります。憲法はそういう労働者のあたりまえの感覚を法的に表現したものです。この労働者のあたりまえの感覚を破壊することこそ郵政民営化ということです。労働者の人間としてのあり方を資本の利潤追求の前に打ち砕くことが民営化の狙いです。労働者に人間として自己を主張させないと言うことです。勝ち取ってきたすべての権利を奪い、自分が人間であると言うことさえ忘れさせるまで攻撃を続けると言うことです。まさしく郵政マル生攻撃の極限化です。大阪高裁判決は、そういう郵政民営化の妨げになる神戸地裁判決を消し去りたいという一点から書かれています。だから重要な論点をすべて書かずに、差別を丸出しにしたものになっているのです。

全逓労働者の総マル生分子化が郵政公社化=民営化の狙い  
私たちはこんな判決にまけるものではありません。戦いの陣形は一つとして傷ついてはいません。怒りはいや増しに高まっています。労働者も、「障害者」も生きるがためにはたたかわなければなりません。マル生分子のような非人間的な生き方をしたくないというだけのことでも闘わなければなりません。全逓中央は、ニューユニオン構想と称して、全郵政に屈服しろと迫っています。

 二つの組合の合体とは、全郵政に対して全逓が屈服すると言うことですが、全逓中央は自分たちだけでなくすべての組合員に屈服を要求してくるでしょう。かつての国鉄分割・民営化のときの動労=JR総連の役割を果たそうとしているのが全逓中央です。闘う者をすべて職場から排除し、マル生分子だけを残すと言うことです。残りたければマル生になれと言うのが全逓中央です。しかし、職場労働者の人間的に生きたいというあたりまえの感覚がある以上その攻撃は必ず失敗します。国鉄分割・民営化によっても国労、動労千葉を破壊することはできませんでした。かえって永続的闘争をJRは抱え込んでいます。

闘えば郵政公社化=民営化は阻止できる  
私は闘いをやめません。闘って職場に戻るまで闘い抜きます。職場労働者のあたりまえの人間としての感覚がある限り必ず勝利すると確信しています。職場労働者の力で職場に戻るという運動を展開していきたい。現場の力関係を変えるということに力を注いでいきたい。今はちょっと当局のほうが押しているように見えます。しかし、それは追い詰められた凶暴性ということに過ぎません。力が強いからかさにかかっているのでなく、追い詰められ後が無いからむきになっていると言うことです。今日のJRの破綻性を見れば明らかです。JRは企業としてはすでに破綻している。

 JRでは「血の入れ替え」と称した国労、動労千葉組合員の排除とJR総連との総入れ替えが行われました。このJR総連の総マル生分子化とその職場支配が、分割・民営化を可能にした唯一の理由です。郵政の公社化=民営化攻撃とは、すなわち全逓組合員の総マル生分子化ということを狙ったものです。全郵政に屈服を強要し、大合理化、マル生地獄に職場をたたきこむということ、それに全逓組合員をして積極的に協力しろというのが郵政公社化=民営化です。このJRと同じ、柳の下のドジョウを狙った攻撃が勝つという可能性は一切ありません。16万全逓労働者全部を総マル生分子化することは不可能です。郵政民営化阻止の、全逓中央打倒、全逓大改革路線の勝利のはっきりした展望がそこにあります。

人事交流=強制配転と闘おう  
人事交流=強制配転はJRでの「血の入れ替え」という意味をもつ攻撃でしょう。しかし、その攻撃が逆に現場の怒りを引き出してしまっている。業務も回らなくなっている。今年の年賀が人事交流による通区率(習熟度)の低下で吹き飛んだ局がいくつもあります。そこに攻撃の破綻性があります。敵が攻撃すればするほど現場に労働者としての怒りが湧いてくるというのが現実です。到底、敵が願望するような総マル生分子化にはなりません。高見闘争が勝利するには大きな力が必要です。そんなに簡単には勝たせてくれない。しかし、勝利する力は職場に満ち満ちている。職場と交流すればするほどそう思います。

 問題はただその力をいかに引き出すかということにあります。強制配転に反対する郵便労働者の会結成は、その現場労働者の力を引き出す決定的な武器になるでしょう。高見闘争の勝利は、郵政大合理化、公社化=民営化攻撃と闘う現場労働者の怒りの決起と結びついたとき初めて可能になるでしょう。その条件は職場に満ち満ちています。郵政公社化=民営化の矛盾の噴出と、全逓中央打倒=全逓大改革の戦いの現実性こそが勝利の展望です。現場と結びつき、職場から真の労働運動を創りあげていきたいと思います。そのことを持って高見闘争の勝利の展望をなんとしても切り開きくことを決意します。

 高裁吉川差別判決に対して、ただちに最高裁に上告しました。
全逓労働者と「障害者」の総決起を組織し、最高裁を揺るがす大闘争を展開したいと思います。私たちはあらゆる敗北主義とは無縁です。すべての仲間の皆さん。
ともに闘いましょう。高見闘争のページ


3/25
すべての命の
チャンプラリズム・コンサート
 私たちは2000年6月3日(土),上野水上音楽堂で『すべての命のチャンプラリズム』と題するイベント&コンサートを企画している.
サブタイトルは“基地をおしつけられた沖縄.選別された障害者・キーサン.ひきさかれた民族・在日.葬り去られようとしているジュゴン.チャンプルー(ごちゃまぜ)の中から新しい命・地球がつくられようとしている”

 その日は沖縄,障害者・キーサン,在日をはじめとするアーティスト&ミュージシャンが21世紀……地球史上はじめて,すべての命が大切にされる時代……を創造しようと上野水上音楽堂に集まってくる.

 1999年暮,東京・練馬区にある街(まち)グループの沖縄料理店“チャンプルー街”にあらゆる人たちが立場を超えて集まってきた.その中には沖縄出身のシンガーソングライター知念良吉さんがいた.“ヤクザがヤーサンならわたしらキチガイはキーサンだね”という東京下町・精神病者の患者会「新松橋亭同人」の人たちがいた.ひきさかれた民族・在日の問題を考えている人がいた.沖縄に生息し,海上基地建設によって絶滅が危惧されるジュゴンの保護に取り組んでいる人がいた.従軍慰安婦問題を語る人がいた.そして夜遅くまで続いた語り合いの中で,私たちはいちばん大切なものは“命どぅ宝(ぬちどぅたから)(命こそ宝)”ということに気が付いた.

 仕組まれた心と鎖で沖縄とキーサン・在日・ジュゴンはそれぞれ分断され,選別され,ひきさかれている.
 その中で,葬り去られようとしている命がある.

 命どぅ宝(ぬちどぅたから).命こそ宝なのだ.私たちは渾沌(こんとん)としたチャンプルー(沖縄の言葉でゴチャマゼという意味)の中から新しい命・地球をつくりだしたい.そんな想いから“すべての命のチャンプラリズム”というテーマでイベント&コンサートを企画することになった.こうして,沖縄料理店“チャンプルー街”の中から“すべての命のチャンプラリズム実行委員会”が誕生した。

 今,チャンプルー街に集い毎週おこなわれている実行委員会の中からも小さな新しい命が生まれようとしています.巡りつながる命・すべての生命に陽が射すような“すべての命のチャンプラリズム”.私たちはそんな,すべての命が大切にされる時代の扉を拓いていきます.趣旨に賛同していただける多くの方と一緒にこのイベント&コンサートを成功させたいと思っています.
みなさまのお力をお貸しください.ご協力をお願いいたします.

2000年3月23日
すべての命のチャンプラリズム実行委員会
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■すべての命のチャンプラリズム■ イベント&コンサート
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●日 時:2000年6月3日(土)PM2:30〜PM8:30
●会 場:上野水上音楽堂(上野公園野外ステージ)
東京都台東区上野公園不忍池ほとり
TEL03-3828-9168
●入場料:前売2000円/当日2500円
●出演者:知念良吉とパラダイスドンドン
福島泰樹Vsエバッチとキーサン勢(詩のボクシング)
李政美(いぢょんみ)
おーまきちまき&のむらあき
カーミーズ
佐々木恵
ヨッシーとありちゃんとゆっくん
ユニークバンド
SEVENTH ROSE
花&フィノミナン
SLOW DANCE
●主 催:すべての命のチャンプラリズム実行委員会
●後 援:東京「病者」・地域HOTライン
●連絡先:チャンプルー街
〒177-0051東京都練馬区関町北2-28-16志田ビル2階
TEL 03-3928-0417
FAX 03-3928-1378
E-mail hane@purple.plala.or.jp

3/24
『街』は21世紀のモデル/セブンスローズ・稲川

 3/8(水)「街」の一日体験をさせて頂きました。愉しい時間を皆さんありがとうございました。
 さて、感想なのですが‥‥これが何と言ったら良いのか判らない。口で表現できなかったので書いているわけですが、まるで空白状態なのです。あえて言うならば、「当たり前に人間だった」ということでしょうか。当たり前に生きている人達がここにいる。それが何よりも喜びでした。“当たり前”が今の社会では最も難しい。だからこその嬉しい一日となりました。

 今の競争社会においては、肝心の“生命”が不在です。何の為の社会か? 何の為の経済か? その生きることの根本の部分がない。ひたすらエゴの追及で成り立っているからこそ、競争が必要になってしまうのです。「生きづらさ」というのはそこから生まれていることでしょうし、足の引っ張り合いや偏見はその典型と言えるのでしょう。

 21世紀は「すべての生命は一つであることを思い出し、大切にされる時代」を創造しなければなりません。そして、僕は楽観的に「そうなるだろう」と確信しています。そうでなければ、現在世の中で起きていることの数々は説明がつきません。

 地球は「競争から互助の時代へ」向かい始めました。それを調和の中で実現していこう、という僕の夢は目に見えてこの胸に光っています。

 「街」という場は、新しい互助の時代のモデルとも言うべき、ただただ“人間”の場でした。たった一日の体験でしたが、大切な学びをありがとうございました。富田さん・中馬さんはじめ、「街」の皆さん…本当にありがとうございました。


3/23
則子さんへ/ジュゴン鈴木

 昨日は、すっかりお世話になってしまい反省しています。朝起きたら、すぐ帰るつもりが、ついお言葉を交わしてしまったのが決定的で、お体のことも考えず、お言葉に甘えてしまいました。

 いろんなことがありすぎて、私の心の限界が、則子さんのやさしさに触れてとめどなくあふれてしまったのです。私はとても恐かった。覚悟をきめて始めたことなのに、現実を前にしてすくんでいたのです。「日の丸、君が代」のことも、ジュゴンのことも。

 得体のしれない前世紀の怪物みたいなみのが次から次へと現れて悪夢をみているような毎日、眠れない日が続いたのです。まだ2回しかお訪ねしたことがないけれど「街」に泊まると、なぜかぐっすり眠れるのです。何もかも忘れて、自らの「睡魔」と向き合うことができるのです。

 則子さんと過ごした数時間、一瞬、一瞬を輝いて生きている表情を見てて、私は自分が恥ずかしくなりました。怖がっている場合じゃないと。闘うことさえ、楽しく、幸せだと言い切るその言葉に打たれました。ほんとうに幸せそうにしている彼女を見ていて私もとても幸せでした。そして、彼女がなぜそんなに強いのかと考えて、きっと彼女を支える人々を心から信頼しているからだと思いました。その人々の思いをがっちりと受け止めているから、あんなに堂々としているんだと分かりました。わたしに足りないものがあるとしたら、そのことです。

 私を支えてくれようとする大切な人々はたくさんいるのに、その信頼に答え、受け止めきれていなかったのです。どこか「人間」であることに向き合えない私がいて、逃げ出したい私がいたのです。そうではなく、「人間」として、他の生きものに向き合い、「人間」としての責任の取り方があるからこそ「ジュゴン」保護も語れるはずです。「日の丸、君が代」も、次世代の人々に対する、今の「人間」の責任の問題です。いつも励ましてくれる私の大好きな「いい男」の人が「相手はとんでもない怪物だよ。負けてもともと、勝とうなんて考えないでたのしまなくっちゃ!」常々アドバイスしてくれます。

 いつかお身体が遠出がゆるされるようになったら、是非その「いい男」と、美しい南アルプスを見せに則子さんをお連れしたいです。一段落するまで、なかなかお訪ねできないと思いますが、どうかご自愛ください。そして、またお会いする時に「いま、とても幸せ」と言えるのを励みにしています。

 ハネやんはじめ、「街」の皆様に心から感謝をお伝えください。

「ジュゴン保護基金」

 「街」の所長・則子さんは、23日、2度目の化学療法(計5回する)を受けるために入院します。今度は1週間で退院の予定です。


3/22
3/21日の『街』・『チャンプルー』

 『街』では、午後から年1回のボランティア会議が開かれました。『街』のボランティアは曜日担当制で、曜日ごとに違った女性たちがお店で店員してくれています。会議には8人のボランティアさんとスタッフが参加しました。ボランティア・『街』グループの代表は金巻さんが、会計も中村さんが留任しました。その後でボランティアの会則の見直しをしました。

 森田さん・皆川さん・河井さん・中村さん・神保さん・斎藤さんは、『街』が自主運営時代から7年間ボランティアを継続しています。平均年齢60才を越えるお歳にもかかわらず毎回元気で『街』を手伝ってくれています。また二人のダブル・石川さん、金曜日担当の平間さん、金巻さん、ミヤちゃん、これからも宜しくお願いいたします。

 『チャンプルー』・・・何故か3月に入ってからヒマ。最初のお客さんは「一寸五分の会」のはるかかなたさん。通勤途中に『チャンプルー』があるので、たまに寄ってくれます。その後は、ヨッシー以外、お客さんが来ないので、石原都知事が画策している「外形標準課税」についての学習会をしました。石原のこのスタンドブレーは、銀行から税をとるにとどまらず、次は福祉を切り捨て、労働者を解雇し、その金を臨海副都心計画に一兆円もぶち込んでまた大資本を儲けさせようとしている。結局は金持ちを富ませ、民衆に犠牲を強いる大増税への突破口を開くものです。「それに対して、僕たちはどうしたらいいの?」とヨッシー。「ヨッシーが作った『都知事様』を唄いつづけることさ」「そうだ、そうだ」一同、怒りをもって語りました。 

 と話していたら、突然ロシア人のセルゲイが、友人を連れて来ました。その人の名もセルゲイ。セルゲイは東大や会津大で数学の教鞭をとっていたけど、来週、ロシアに戻るそうです。修理に出していたアコーデオンも直って、お別れ演奏として「カチューシャ」「モスクワの夜は更けて」なと4曲弾いて弾き語りでしました。金本さんが「シャル・ウィー・ダンス」をハーモニカで演奏。デジカメで撮った記念写真をEメールで送ってくれるそうです。セルゲイ、ロシアに帰ってもお元気で。


3/21
春分の日の『街』

 お昼、則子さん・ハネやん、ミヤちゃん、ヨッシー、アリちゃん・ようこちゃんに愛犬マックが「ハウス街」に集まった。久しぶりに何もない休日。『街』の軽バンと2台のバイクで、埼玉・狭山にある西武球場のそばのハネやん家のお墓にGO!

 何でまた、墓参り?! 特に意味はない。たまにはロケーションを変えて自然の中で過ごすのもいいんじゃないか、てな感じ。ハネやんたちは忙しく、お墓参りなんていつ以来なんだろ。予想通り、お墓は雑草で荒れ果てていた。皆でゴミを取って花を供えて、お線香をあげた。入りたかったら誰でも入ってもいいよ。『チャンプルー墓』なんちゃって。その後で、すぐ横にある尾崎豊、漫画家の滝田ゆう、絵本作家・いわさきちひろの墓見物をした。

 西武球場の横にある中華料理「獅子」で昼食。海老チリソース、棒棒鶏、カシューナッツ炒め、カニ炒飯、餃子、坦々麺、上海焼そば、仕上げは杏仁豆腐とコーヒー。みんな満腹でした。

 夜は、ヨッシーが帰り、ユッ君が加わって「ハウス街」に6人が集っての焼肉パーティー。人参色ヘアーのユッ君に、坊主頭の似合うアリちゃん。春一番風の強風と、二人の頭を見ているだけで春を感じてしまいました。

 晩飯は、骨付きカルビ、ハラミ、レバー、ハツに沢山の野菜。みんな胃袋がパンパンになるまで食べていました。さて1日で何キロ太った事でしょう? 

 ともかく久々の休日をノンビリ・ユッタリ過ごしたのでありました。さて、また明日から頑張るベェ。


3/20
サンデー夕食会

 北海道に転勤するのでゴロちゃんが別れの挨拶の後、サンデー夕食会は午後5時からはじまった。最初はいつものメンバーの8人で始まった。今日は静かな夕食会になりそうだった。いつもと違うのは『街』のテンカメさんが参加していること。次にぺちゃんこさんの息子が来た。ヨッシーは銭湯に行ってサッパリしていた。

 定番のカレーライスはいつになく美味かった。今年はじめて埼玉のミッちゃんが来た。大ちゃんが陽和病院のデイケアの友達を連れてやってきた。Aさんのジーンズ地の帽子を借りて被っていた。7000円したというその帽子をみんなが被った。ミック(ほっとスペース)がエレキギターを持って来た。

 6.3 すべての命のチャンプラリズム・コンサートの練習が始まる。ヨッシー&沖縄料理店『チャンプルーズ』の参加者はドンドン増殖している。最初はヨッシー、アリちゃん、ユッ君だったが、そこに洋平君が加わり、ジン君、そしてミックもやる事になった。

 はじめにミックがジミヘンの曲をアレンジして弾いた。アメリカ国歌を君が代に替え、「君が代・日の丸、イエスorノー、厚生省、何考えてるんだい・・・」余りにもいい歌なので一発採用。アリちゃんが3曲唄った。大ちゃんが子ども用タンバリンを持って飛び跳ねる様に踊る。

 ヨッシーが数曲を演奏した。テンカメさんが乗っていたので、彼の好きなレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジにちなんで「ジミー・テンカメ」という名が付いた。次にヨッシー、アリちゃん、ユッ君が「都知事様」「総理へ」を披露。随分、上達してきた。ジン君と直ちゃんが来た。ジン君とヨッシーが「壊してしまいたい」を二人で演奏した。

 ミックの歌を聴いて、直ちゃんが即興の詩を朗読した。知念さんが沖縄のカチャーシーでなく、ロックで踊った。中島社長はずっと暗かった。仲地母が来た。ミッちゃんがいづみたくの歌をアカペラで唄った。ミックが6度目か7度目の「紫の煙」を演奏した。何度聴いてもオモシロかった。

 その後で話し合いが続いた。明日、みんなでハネやん家の墓参りに行こうという話になって、サンデー夕食会が終わった。  


3/19
地域とともに、新たな患者会運動
東京「病者」地域Hotライン
  多田道夫(「ほっとスペース八王子」代表)
『えどがわ・はつ』Vol.17より転載

 新年明けましておめでとうございます。2000年を迎えるにあたりまして私の抱負を述べさせていただきます。

 昨年は私たち新たな患者会運動をめざす者にとつてとても大きな年でした。

 遊人永屋こどく館・新松橋亭同人・オープンスペース街・ほっとスペース八王子・その他、広瀬さん・韮沢さんたちとのゆるやかな連合体をめざす集いがほぼ1ヶ月に1回のペースでもたれました。

 これは東京都衛生局、厚生省精神保健課、全家連(全国精神障害者家族会連合会)などが後ろ盾になって結成された全精連(全国精神障害者団体連合会)とは明らかに違う草の根の「精神病者」患者会の動きです。

 主に「チャンプルー街」で集まりを持ったのですが、そこには「精神病」者の解放だけでなく、沖縄の基地強化に反対をとなえる人、従軍慰安婦問題について語る人、また、さりげなく「病者」と人間的つき合いをしようとする市民などが集い、毎回毎回大盛況でした。

 さらに愛媛県松山の「ごかい」・京都の「前進友の会」・静岡の「藤枝友の会」などの全国の患者会とも連携をとりながらのものでした。しかもその集まりを母体として沖縄・「病院・地域精神医学会」での精神病院の患者拘束全廃に向けてのたたかい、「精神神経学会」では触法精神障害者対策=保安処分シンポジウム反対の壇上占拠、「処遇困難者専門病棟」粉砕の構成しよう抗議行動に出かけたり・・・・。毎回の集まりでは「ヨッシー」の歌あり踊りあり、私も唄わせてもらい本当に活気あるものでした。

 2000年に入った今年、東京都知事石原は、経費節減と称して労働者の首切り、賃金カットをすすめるだけでなく、都の精神障害者の作業所についても一ヶ所も増やさない、ランクアップも認めない、という方針を打ち出しました。厚生省も治療処分という制度をつくろうとしています。

 私たち草の根の患者会運動こそが、そのような反動とたたかえるのです。名称も「東京『病者』・地域HOTライン」に決まりました。

 今年一年、更に団結をつよめて進んで行きましょう。 東京「病者」地域Hotラインの頁 に行きます  


3/17
3・17 沖縄・名護に新たな米軍基地をつくらせない大集会

 アリちゃん 今日は、日比谷野外音楽堂で、「3・17 沖縄・名護に新たな米軍基地をつくらせない大集会」がありました。4000人もの人があつまりました。

 会場には六十年以上も基地に反対しつづけている傘をかぶった女の人達(北富士忍草母の会)もいました。

 ヨッシーとありちゃんは、冒頭で「俺は売れないロックンローラー」「総理へ」を歌いました。唄う前にヨッシーが「小渕さんは来てませんか〜」と会場に向かって言いました。

 他にも、月桃の花歌劇団の演奏、おなじみ命どぅ宝ネットワークの太田さん率いる「The琉球ネシアンズ」のエイサーもありました。

 最初に、沖縄社会大衆党・島袋宗康氏、社民党・土井たか子氏、日本共産党・不破哲三氏の挨拶がありました。ハネやんの話では、これまで同席したことのない沢山の政党・党派が集まるのは沖縄の「思想の違いを越えて一緒に闘う・革新共闘」という思想なんだそうです。

 沖縄からの発言として、金城睦氏(沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会)の基調報告、二見以北十区の会の東恩納さんの発言がありました。昨年の11月に「街」の5人で辺野古に行った時、いっしょに基地反対の平和行進をしたな〜・・・。

 その後は、いよいよデモ!!
 ハネやん、則子さん、みやちゃんなど7人帰ったけれど、9人残って参加。日比谷から銀座まで「戦争につながる基地はいらない!」と大声でアピールし、カチャーシーを踊ったりして基地建設への反対を訴えました。

 戦争につながる基地を作ることを許したら、戦争の中では人が人として生きていけなくなります。日本政府、アメリカが沖縄の辺野古に作ろうとしている基地を作らせないためには沖縄の人達だけが頑張るのではなく、日本本土の人達も反対をしていくことが必要だと強く感じました。
 これは沖縄の問題ではなく、キーサンをはじめ日本人全体の問題なのだ・・・と!


 ジュゴンが住む辺野古の海を去年見て来た私には、そこから来ていた東恩納さんの話が特に身にしみました。「ジュゴンの調査の依頼を環境庁に申請したら、うちじゃない、水産庁に行け、と言われ、水産庁に行くと、そうではない、絶滅危機種なだから文化庁に行け、と言われた。
 これじゃお役所にジュゴンの調査はまかせていられない。ならば自分達で調査しよう。そしてその結果を世界会議に提出する。 そこで辺野古の海の保護を応援してもらって、将来はジュゴンのえさの海草を辺野古の海に植えたい」と語っておられました。 なんだかそういうことが実現しそうで、日本中の皆が、「基地はいらない!」と声をあげていく必要を強く感じました。(チュー)

アメリカという国は、原住民であるインディアンを追いやって、侵略してできた国。今、その国は日本に基地を作ろうとしている。そんな国に日本はぺこぺこして基地を作らせようとしている。許せない。(まこと)

基地は戦争につながるもので、それを作るのはおかしい。参加してよかったと思った(けんじ)

いろんな団体の人がいっぱいいた。みんな基地に反対していた。これからの世の中を戦争に向かわせるのか、人間として生きていける時代にするの今、私たちがどうするかで決まるんだなと感じた。賛成はしないけど何もしないと、基地を作らせてしまう。(ようこ)


3/16
Aさんの入院顛末記

 はじまりは先週の金曜日の夜だった。知り合いのAさんから「自由広場」に電話が入った。かなりの躁状態だったので、すぐに『チャンプルー』においでと言った。しばらくしてAさんがやってきた。最初入って来た時、普段のAさんとは思えないほど違って見えた。そして今まで見たことのないほど調子が高く「入院しないとヤバイ」とすぐに感じる程だった。

 復職して一ケ月のAさん。もう完全に限界に来ていた。この数日間、寝ていないのは誰の目にも明らかだった。しかし主治医は「会社へ行け!」と言う。一体どこを見てるんじゃヤブ医者。たまたまお客さんで来ていた入院経験者が処方されてる薬を見ていった。「これじゃ、アカン」と。その夜はお客さんとアリちゃんが一緒に「ステイ街」に行って、お客さんの持っていた薬を飲んでもらいユックリと眠ってもらった。

 土・日、主治医はどっかでバカンスと洒落こんでいるらしい。入院の話は全然進まない。お父さんが入院の用意をして「ステイ街」にやってきた。火曜『チャンプルー』で父親をまじえて入院の話をきめた。水曜の夜、「自由広場」の相談員・モトハルと一緒にクリニックに行ったが医者の「強制入院」との言葉に怒ってAさんは病院を飛び出してしまった。モトハルは慌ててAさんを探した。運良くそこにジン君とナオちゃんが通りかかり、3人で探してやっと見つけて「ステイ街」に戻った。その夜は、モトハルとこどく館の元木さんがAさんに付き添ってくれた。

 そして今日だ。モトハルが自分の通院している病院に話を通してくれて今日、入院する予定になっていた。朝、外来日なので則子さんを病院へ送ってきたハネやんが『街』に戻ってきた。入院の話し合いは午後に予定されていたが、彼の状態を見てハネやんは、「すぐに、病院へ行こう」と言った。Aさん・モトハル・ハネやんを乗せて『街』の軽バンは通いなれたる「天下に名だたる名病院」B病院へと向かった。

 ここで終わればハッピーエンド。でも日本の精神医療の現実は想像以上に腐敗していた。相談室に入った3人に対して係員はハッキリと言った。「医療保護入院なら別だが、任意入院では部屋もなく無理なのでお帰り下さい」と。「困っている人が目の前にいるのに、病院は何もしないんですか。それが医療なのですか!」と高血圧との闘いの中で興奮を抑えてハネやんは言った。

 「私はユックリ休息したいのです。お願いします、入院させて下さい m(__)m 」 最後には土下座までして頼むAさんに対して「ダメです!」という言葉を繰り返すだけ。そこでついにこの数日、Aさんに付き添ってきて体力的にも・精神的にも疲れている武闘派・モトハルが切れた。「私もかつてこの病院に入院していた者です。でもこんなヒドイ話は聞いたことがない。入院したい人を何故入院させないんだ。院長の所に行って話をつけてくる」

 これにはさすがのAさんも驚いた。「興奮しないで、牛乳でも飲んで落ち着いて・・・」。さっきハネやんが買ってきた「カルシュウムで興奮を抑える」牛乳をモトハルにすすめた。その時、その部屋の中で一番落ち着いてはAさんだった。

 「みんな、帰ろう!」 皆がこんなに怒って訴えているのに、心を石にしている相談員を見て、ハネやんは言った。「帰って、『チャンプルー』で飯を食いながら次の策をユックリ考えよう!」

 帰りの車の中、「あー、こんな病院だから、えばっちに弁当を鷲づかみにされても仕方ないな」と思った。

 『チャンプルー』でアリちゃんの作った温かい豚汁&カルシュウムたっぷりの丸干しイワシの昼食を食べてから、次の病院へ行った。事前に富田さんが電話を入れておいたので、VIP待遇のように迎えられて相談室へ。少し話を聞いた後で医者は言った。「はい、任意入院にしましょう!」と。その時のAさんの(^。^)。地獄で仏を見たような顔をしていた。

 Aさん、モトハル、そしてみんな、しばらくユックリ休みましょう!


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