オープンスペース街&心の広場
5月A
5月@ 6月@

5/31
5月31日の街

今日はお天気が悪かったけれど、寄付で集まった山盛りの夏物の衣類をボランティアさんと一緒に整理しました。
水曜日は、ボランティアさんが4人きてくれるので、お客さんも多いです。
お茶の時間にはおなじみのお客さんが手作りの床づけのきゅうりをさしいれてくれ、一緒にたべました。
ミーティングでは、助成金がなくなったらどうするか・・・を話しました。
リサイクルショップという商売柄、ゴミが多くって、ゴミ代がばかになりません。
そこで、ゴミを減らしては、という意見がでましたが、
地域からの寄付でなりたっているので、そう簡単には断れません。
そこで、日曜日もお店を開ける、など、みんなからいろんな考えが出ました。
そして、お給料が減っても来る!と・・・・シビア〜な話の後、今日は待望のお給料日! ということで、みんな楽しそうに2階へお給料をもらいにいっていました!(ようこ)

今日のチャンプルー

今日は、海風で知り合ったSさんが、チャンプルーを訪れてきてくれた。
なんか見た事ある人だな〜と思って見てたら、Sさんでびっくりした。
今日は、すべての命のチャンプラリズム実行委員会の最終打ち合わせの日だった。
当日にするべき事の確認、モロさんとようこさんが、司会の練習をした。
その後は、ライブ。ありちゃん、ゆっくん、にらさん、たけさん、
そして、知念さんが「じんじん」を歌った。

5/30
28日の夜、沖縄からトマさんがやってきた。トマさんは、僕(あり)が沖縄に行った時、とってもお世話になった人で、アイヌ人だ。とっても熱い人で、彼を囲んで朝の3時過ぎまで話をした。翌朝、トマさんは置き手紙とエバッチのバクチク本代500円を残し、チャンプルーを去っていた。

 チャンプラリズムのスタッフ&信じあえる人々の皆さん久しく語りあわせていただき本当にうれしかったよ。エテケカンパ(アイヌ語?)うれしくもらってゆきます。人魚まつりにぜひ参加して下さい。お祭りをしましょう。祭りは参加者によってもりあがるので、ぜひ来て下さい。これない人はここで祭りをやりましょう。障害者の解放は周囲の社会が変わらなければダメ。

トマ記



今日(30日)のチャンプルー

 今日は、沖縄のおじさんが来て、いろいろ話をした。中学生時代の弁論大会では、10人いれば8人はいつも基地はいらないという話だった。復帰前は、毎年4月28日になると、本土に復帰したいという思いで、家族でデモ行進に参加した。いつも米兵による事件がおこり、新聞には、沖縄の人の事件より、米兵の事件が多かった。沖縄だけから基地なくせばいいでわなく、岩国にだって基地はいらない。沖縄ばかりが言われるけど、基地がある所はすべて同じ事が起きている。まずは、これ以上基地を作らせない事からはじめて、そして今ある基地もなくしていくべきだ。彼はそう言った。

 沖縄料理店チャンプルーズの最終リハーサルをした。ジン君のギターは気合が入ってかっこよかった。ゆっくんも若さがはじけていた。洋平君も楽しそうに唄っていた。あとは本番を待つばかり。このメンバーに加えて当日はみやちゃんをはじめ、たくさんの人がステージに上がる予定です。沖縄料理店チャンプルーズには、当日いきなり参加OKです。みんなで舞台に上がろう!!
 明日は、チャンプラリズムの最終ミーティングで〜す。


5/29
沖縄名護市東海岸で、「我った〜、人魚を探しています」というイベントをします。
7月30日は、みんな集まってください。(予定は瀬だけの浜です。)

5/23

6.3 すべての命のチャンプリズム・コンサート

 イベントに出演する「えばっちとキーサン勢」の紹介記事が追加されました。

 また、えばっちこと江端一起さんが書いた、精神病者のセイカツとカクメイ・バクチク本「キーサン革命」(500円)が絶賛発売中です。お問い合わせは、

前進友の会・やすらぎの里 電話 075−591−7926。

「街」「チャンプルー街」でも販売しています。


ハネやんさま。APFSの筑波です
ミンスィさんの要請書へご賛同を集めていただきありがとうございました。
実質3日間という本当に短い期間だったにも関わらず、21団体、105個人のか
たからのご賛同をいただくことができました。これは皆様のお力によるところが大きく、感謝感激です。

詳細な報告及び結果はまた後日あらためて報告させていただきますが、取り急
ぎ感謝と御礼を申し上げます。また、ご賛同をいただいた個人、団体のかたへ
も、事務局より郵便にて御礼を送らせていただきます。本当にありがとうございました。

************************************
A.P.F.S.(ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY)
tsukuba@jca.apc.org
http://www.jca.apc.org/apfs/ 


 沖縄旅行の報告A

「あごら」との交流会に参加して/あおぽん

 沖縄に着いて二日目、僕たちは『あごら』という福祉作業所へ行きました。そこでは喫茶店・食堂をしていて、おいしいお料理を出しています。

 『街』一行は着いて早々鰯のっけ丼の定食とソフトドリンクを(あおポンはホットコーヒーを)いただきました。とても和やかなお食事でした。交流会もありました。

 『あごら』と『街』のメンバー、スタッフが勢揃いして、自己紹介が始まり、その後ストレスについて病者・キーサンの立場からのディスカッションがありました。安心して話ができる人や場所をつくること、お薬は嫌ったりせずに飲みつづけること、などが各自の体験談を交えて話されました。また、『街』と同行した患者会『新松橋亭同人』、グループホーム『遊人永屋こどく館』の方から全精連(全国精神障害者連合会)に対する意見、見解も合わせて紹介されました。とても和気藹々とした、楽しいひと時でした。

初めての沖縄/次郎

 今回の沖縄は僕は何もかも初めてづくしでした。サミット反対のデモでも、沖縄の問題は日本人全体の問題だと改めて思いました。僕は子どもの頃から、小学生の頃から、学校や親から、太平洋戦争などで日本は大変愚かな事をしたと習いました。そして、絶対戦争はしてはいけないと思います。それが僕の今回の感想です。


5/22

沖縄旅行の報告@

 「沖縄に行って」モロさん

 5月14日午前9時に街を出発した。総勢19名だった。久しぶりにモノレールに乗ってANA85便に乗り沖縄に午後3時45分に着いた。

 午後7時より浦添市民平和交流集会に参加した。那覇軍港の浦添移設反対・軍港反対市民の会・一坪反戦地主会浦添ブロックなどの人々と交流した。まよなかしんやさんが司会をしていた。韓国からも女性の人がやってきていた。またアイヌの人も5人来ていた。やはり浦添に米軍基地を新たに作らせないという地元の人の熱気がつたわってきた。またある人が発言していたが米軍は何十年も前に浦添に米軍基地を作ろうとしていたということもわかった。

 5月15日午後2時より「あごら」という共同作業所(喫茶店、夜はザンギリスというリトアニア料理を作っているユニークな作業所だった。)あごらの人が自己紹介した。街も自己紹介した。あごらのメンバーがあごらの歌を歌ってくれた。街もありちゃんと仁くんが歌を歌った。

 6時半より国際通りにてサミット反対のデモ行進をした。沖縄の人はサミット反対という人が少ない感じがした。大田知事が選挙で負けて以来、自民党の思いのまま沖縄県民が米軍基地・サミットを受け入れてしまっているような気がしてならない。

 5月16日辺野古までレンタカーを借りて行ってみた。ジュゴンの住む浜辺を見学した。ここに米軍基地を作ろうとしているが、現地の人の説明をうけたが、立て看板に金と基地がいっしょに来るが金はなくなり、最後は米軍基地しか残らないという印象的な文字が書いてあった。そのあと「海と風の宿」という民宿に交流しに行った。ここにありちゃんや仁くんが泊まったのかと思うと親近感をもった。あと三線のプロの方(金城繁・師匠)が演奏してくれて、みんなで唄って踊った。なごりおしかったが帰りの飛行機の時間もあり一路空港へ向かった。

 わずか2泊3日の旅であったが本土との経済格差やサミットに反対する人が少数であり表面的には米軍基地反対の声が今回あまり聞こえてこなかった。しかしわれわれは市民運動家の人たちと連帯してサミットを中止に追い込んでいきたいと思う。7月のサミットの時また沖縄に行きたいと思った。

まこと

 何か重大な事をするのに権力者は必ずこう言う「犠牲はつきものだよ」と。実際、韓国の女性は言っていた。米軍基地の兵隊が少女を強姦し、売春婦を殺害しその責を問うと。「私たちはあなたたちの平和と安全を守っているのだから、多少の犠牲はやむを得ない」と。かつて日本帝国軍は米軍よりひどい事をしたのだから批判はできないかもしれない。だからこそ、我々が戦争が起きないようにしっかりしなければいけない。

 しかし、少女強姦を我慢し、基地の騒音を我慢し、土地を盗られた事を我慢するのならば、本人をふくめまわりの人間も精神的強姦を受けていると言ってもいい。「しかし、ジュゴンは何をがまんすればいいのか」米軍兵がジュゴンに向かって「何でもがまんしなさい、そして絶滅してしまいなさい」などの図を考えるのは、ブラックジョークにもならない。

 東恩納さんに案内された名護東海岸の珊瑚礁はうまく育たないという。生態系のリズムが狂っているのだという。ましてやそこに基地を作れば美しい海は二度と元に戻らないだろう。私たちは7月にまた沖縄に行きあの美しい海を見たいと思う。

「沖縄米軍基地反対の旅行のまとめ」たけちゃん

 僕は今まで自分の過去、悩みについて沖縄に行く前にそうとう悩んでいました。でも、沖縄のすばらしいエメラルドグリーンの海、そしてまよなかしんやさんの熱意、そんなものをこの二泊三日の旅行で味わった経験でちっぽけなものに思えて来た。一日目の基地反対の交流会でまた絆みたいなものもできた。

 そして、二日目のデモ。ちょっとまさか史上最大アメリカ横断ウルトラクイズの大声クイズではないけど、声を張り上げて疲れた。イチローさんという存在は場を盛り上げるムードメーカー的な存在にも見えた。後、腕相撲の強さにはびっくりした。また食事も特にゴーヤが美味しかった。とにかく、僕も沖縄の海に米軍基地をつくるのは反対です。新しく首相になった森喜朗さん、名護・岸本市長さんもっとしっかりして下さいよ。

 チュー

 14日夜の浦添の市民平和交流集会で55年もの間基地をおしつけられ、「基地はいらない!」と闘い続けてきた沖縄の人達の話をうかがった。それぞれの方がまさに生涯をかけたお話だった。私達本土の人間は何と無神経にのんきに暮らしてきたことか。この方たちの思うをうけとめて、はたして私は明日から何ができるのか。ずつしりと胸にこたえた。なまぬるく生きてきた今までをふりかえって恥ずかしかった。

 この集会でSACO合意のことを地図や表を示しながらわかりやすく説明してくれる真喜志さん。普天間を返還するのも「県民の要求だから」なんかではなく米軍の長期的計画の一つだったことを知った。東京に帰って「このことを知らない人達」に伝えていこう、と胸が熱くなった。アイヌの人達の話もあり韓国から来日した女性は、在韓米軍の現状を話てくださった。ここに集まった人、それぞれの熱い思いに考えうたれて私はその夜、よく眠れなかった。今日から生き方を変えよう。そんな考えばかりが頭をぐるぐるめぐっていた。

 翌15日はまよなかしんやさんに浦添を案内していただいた。那覇軍港を見ながら、またキャンプキンザーやその前のサンゴひろがる青い海を見ながらしんやさんが地図を広げて説明してくださった。「新しい基地はいらない」のではなく、「今ある基地も新しい基地もいらないのだ」ということ。那覇軍港は『古い・浅い・狭い・(キャンプキンザーから)遠い・(戦車などを軍港から基地まで運ぶのに市街地を通るので)目立つ(すぐ「戦争がはじまっている」とバレる)』

 こんな理由で浦添に新しい(最新鋭の)港を作ろうとしていること。浦添市長はハブ港にしてくれるなら、と乗り気だが、そんな大きすぎる港やクレーン設備は民間には無用の長物でしかないこと。「浦添市にはアメとムチどころかムチしか与えられていないんだ」と語っていた。さらに、キャンプキンザーからベトナム戦争の際にはどんどん物が送られていった。基地をおしつけられているのみならず戦争の手伝いまでさせられていたのだ、という事実。浦添市の海岸線はすべてキャンプキンザーにとられていて市民は自分たちの海に行くこともできない。「子供たちは自分たちの海を知らない」

 その後、浦添城跡へ行った。見晴らしの良い丘の上からは海までよく見えた。しんやさんは「あそこの海岸から米軍が上陸してきたんだ。ふつうなら水際作戦とか言って水際で上陸をくいとめようとするよね。でも軍の命令はちがった。あの丘の上で米軍を迎え撃ったんだ。すさまじい地上戦がくりひろげられた。その戦いで浦添市民の半分が死んだ。」と教えてくれた。日本はここで米軍にも出血させ、持久戦にもちこんで本土における本土決戦陣地が完成するまでの時間かせぎをしようとした。沖縄を何だと思っていたのか。日本の外とでも考えていたとしか思えない。捨て石にした。こんなことはどうしてもあってはならないことだ。

 もう一つ、戦争が終わって2年目、1947年に天皇が占領連合軍総司令部外交顧問W・J・シーボルトに「沖縄その他の琉球諸島の軍事占領をアメリカが継続するよう希望する」と申し入れた事実。信じられない話だが、これも事実だ。沖縄は2度も見捨てられた。

 3日目は名護・辺野古へ。ここはヘリポート基地が移設されようとしている所だ。去年私もヘリポート建設のビラ配りを1度だけ手伝い、おばあたちの家を1軒1軒話してまわったことがある。案内して下さった東恩納さんに以前からギモンに思っていたことを思い切ってぶつけてみた。「漁師の人達が漁に出て生活していることと、ジュゴンの保護について、どう思いますか?」東恩納さんは「漁師が安心して漁をしながらジュゴンの保護もできる方法を考えていけばいい。ジュゴン特別保護区に指定して漁師にはお金を払って出ていってもらってそれで良いとは思っていない。


宇都宮病院事件

宇都宮病院事件の告発者安井健彦さんは宇都宮病院と栃木県とを相手に民事訴訟を起こされていましたが、判決公判の期日が決まりました。わたし自身は参加できませんが、興味のある方は傍聴していただければ幸いです。
5月29日(月) 午前11時から 東京地裁民事713号法廷
山本


5/21

森首相発言を許してはならない/高見さんを支える会・ゲン

森首相は、「日本は天皇中心の神の国であることを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、その思いで活動して30年になる」という許すことのできない、人民に対する挑戦的発言を行った。

森発言の背後にあるのは、最近の二つの少年による殺人事件です。さかのぼれば、「サカキバラ」の事件もそうですが、民主主義的価値観の崩壊に対して、どのような態度をとるのかという問題を提起していると思います。人を殺してはならない、どのような人間にも同等の生きる権利がある、という価値観が崩壊しているということです。老人殺しの少年は、年寄りは殺してもかまわないという趣旨のことをいっているといいます。

これらの事件に対しての反応が二つの方向で出てきています。一つは、こんな犯罪をするのは精神障害者に違いないというものです。精神科医という人たちがテレビに出てきてサイコパスであるということを言っています。この傾向は精神障害者は何をするか分からない人間であるということ、こんな恐ろしいことをするのは精神に異常があるに違いないというという決め付けのもと、精神障害者に対する保安処分が必要であるという方向に世論を誘導するものです。

もう一つの傾向として出てきたのが森発言としてある。民主主義的価値観の崩壊を復古的「天皇中心の神の国」と言う価値観で教育をすれば問題が解決するかのような意見として出てきている。森は教育勅語に良い事が書いてあるということを以前から主張していた。

民主主義的価値観の崩壊は、いまの教育の矛盾の仲で生じているという面は確かにあると思います。子どもの頃からの競争教育、人に上下の価値がある、上は灘高から東大へ行く人、下はどこにあるのか分からないが、たとえば中学卒で働く人ということが子どもの頃から価値観として教え込まれる。東大へいってキャリア官僚になることが最良の生き方であると教え込まれる。人の上に人があり、人の下に人がいるということが子どもの頃から教え込まれる。これで民主主義教育とは到底いえない。

森らの意見は、この民主主義の崩壊が教育の中からもたらされているということを逆転させ、民主主義教育が悪いのだという主張として出てきている。民主主義教育が価値観の崩壊をもたらしているという逆転した意見として出てきている。だから天皇を中心とした神の国にすれば、価値観の崩壊が正せるという意見としてある。天皇という絶対的存在を中心として、皇国臣民としての教育をしろということである。民主主義教育が崩壊していることを逆転させ、民主主義が悪の元凶であるとする立場である。だから天皇制の政治をしていくのだということを主張している。皇国史観にもとづく教育こそ、日本と天皇のためなら、アジア人民を虐殺してかまわないとして、数千万人の人々を虐殺して論理ではないのか。

私たち大人には、民主主義的価値観の崩壊にこそ問題が有ること、真の民主主義とはどういうことかを子どもたちに示していく義務があるだろう。それこそが、森発言に対する最も根源的な批判となるだろう。

そして、森のような主張をするものは、労働者、「障害者」の力で打ち倒すということ以外にないと思う。

「高見さんを支える会」ゲン


5/20

ミンスィさんの仮放免を求める抗議行動報告

 5月18日、APFSでは2月2日に在留特別許可が不許可になってしまい、父親だけが収容されたままのマウンミンスィさんの仮放免許可を求めて、法務省との交渉及び法務省前での抗議行動、引き続き茨城県牛久市の東日本入国管理センターへの申し入れとミンスィさんへの支援行動を行いました。

 法務省との交渉は13時からの約30分間、入管企画広報係長、法務専門官を始めとする3人が出席し、APFSから仮放免の申請と共に、1日も早い仮放免許可を訴えました。その間、法務省の正門前ではAPFSの外国籍メンバー30名が座り込み、ミンスィさんの仮放免が1日も早く認められることを訴えました。

 その後、茨城県牛久市東日本入国管理センターに移動。あいにく渋滞につかまってしまい、3時半の到着予定が4時20分となってしまいましたが、メンバーはさっそくオレンジ色の旗を広げ、東日本入国管理センター前でミンスィさんへの支援行動を開始しました。センターの敷地はセンター前の道路も含まれているとのことで、敷地内での活動は困る、出るようにと指示があり、途中から場所を移さざるを得ませんでしたが、センター前での市民団体の活動は、これまでに前例がなかったとのことで、職員たちが非常に慌てた様子が印象的でした。メンバーたちが支援行動を行っている間、吉成代表とミンスィさんの妻と長女の3人が、東日本入国管理センターの総務課長鈴木正信氏ほか2名と面会し、申入書を手渡しました。

 ミンスィさんの仮放免の申請は2月2日に収容されて以来、初めてのことです。法務省側は「逃亡のおそれ」を心配しますが、ミンスィさんは妻も家の近くで安定した職を得ており、近所つき合いも深く、長女も地元の保育園に通っているなど、地域との関係が強く築かれています。ミンスィさんが収容前日まで勤務していた職場でも「いつでも戻ってきてほしい」と社長が1日も早く戻ってくる日を待ち望んでいます。

 また現在、東京地裁で裁判中でもあり「最後まであきらめない」と強い意志を持つミンスィさんが逃亡をするとは考えられません。法務省との交渉をした手応えは「五分五分」というところでした。なんらかの可能性を感じさせる応対であったため、運動の力で、なんとしても良い結果を得たいと考え、皆さまからの要請書を募り、5月22日に残りの申請書類と共に提出し、ミンスィさんの仮放免を求めてきたい所存です。期間が短いためどのくらい集まるかまったくわかりませんが、1名でも2名でも多くの要請書を提出したいと考えております。ご協力を心よりお願い申し上げます。

要請書送付先
Email apfs@jca.apc.org

FAX 03-3579-0197

締め切り 5月22日 午前10時
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
5月22日1時からの残りの書類の提出の際に一緒に提出させていただきます。

 要 請 書
法務大臣臼井日出男殿

 在留特別許可を求めて、一家3人で出頭したものの、2000年2月2日付けで不許可となってしまい、父親が拘留され、現在は茨城県牛久市の東日本入国管理センターに収容されたままのミャンマー連邦国籍マウンミンスィさんに1日も早く仮放免を認めることを要請します。

200年5月22日

住所

氏名もしくは団体名

===================================
在留特別許可一斉行動に関する詳しい資料はAPFSにお問い合わせください。
以下のURLからもごらんになれます。
http://www.jca.apc.org/apfs/

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8108/

ASIAN PEOPLE'S FRIENDSHIP SOCIETY(APFS)        
東京都板橋区大山東町24-16 
TEL 03-3964-8739 FAX 03-3579-0197
Email apfs@jca.apc.org


5/19

保安処分をぶっ潰しておめでとう/高見さんを支える会

 学会もすっかり腐ってしまった。保安処分派に半ばのっとられているし、今後そういう傾向が強く出てくるだろう。この流れに反対している医者も兵庫県だけでも2人いるがあまりにも少なすぎる。残りは体制に流されているのだろう。その2人の医者が最後まで残った医者の中にいたのだろうか。最初から行ってないかもしれないが、学会の流れを変えるためには医者にもがんばってもらいたいと思っている。

 関東中心で、患者会の力で保安処分シンポをぶっ潰したのには、心底うれしい。この力があれば保安処分に向かう流れを止めることができるだろう。
来年は大阪学会だそうだ。反動医者連中は心して待つが良い。1995年手帳説明会を実力粉砕した大阪だぞ。いまからてぐすね引いて待ってやろう。

高見さんを支える会・ゲン


5/18

有珠山噴火のカンパのお願い/アリ

 僕が沖縄に行った時お世話になった、沖縄名護市東海岸に住んでるアイヌ人のトマ・カズミさんの生まれ島・有珠山が噴火しています。トマさんは沖縄で募金活動をしています。虻田町の被災者の代表の木村裕一さんへ、カンパをよろしくお願いします。

 http://www1.plala.or.jp/akahane/usu/usu.html 


 「街」の出来事

 17日、3人の訪問者がありました。その内の2人は、ヨッシーが先月、横浜の反戦講座で唄った時に来ていた「東京シューレ大学」の人、もう一人はハネやんと昔から連絡を取り合ってきたミナミちゃん。

 3人は「チャンプルー」でのライブを楽しんで、「ステイ街」「ハウス街」に泊りました。ミナミちゃんは「街」で働いています。

 沖縄旅行の為に入院を延期していた則子所長は、3度目の抗がん剤治療の受けるので、今日入院しました。約1週間の予定です。


5/17

沖縄へ行って来ました!

 14日〜16日、20人で沖縄へ行きました。いずれ報告集を出すので、ダイジェスト版で書きます。

◆14日、那覇空港に着くと出口でジン君が待っていてくれました。3週間ぶりの再会。バスでホテルに行って荷物を降ろして、浦添市民との交流集会に参加するために浦添市に向かいました。その前に腹ごしらえ。「めんめん」という小さい食堂で沖縄そばを食べました。

浦添市民平和交流集会に参加 PM6:30 浦添市社会福祉センター

 地元浦添の他、名護・宜野湾・白保・反戦地主会・1坪反戦地主会・1フィート運動・沖韓連帯・アイヌ民族と連帯する会・満月まつり・平和市民連絡会などからの発言。後半は参加者皆さんで大交流会をしました。

 則子さんが発言して、ヨッシー・アリちゃんが歌を唄いました。

◆15日。まよなかしんやさんの案内で那覇軍港と浦添軍港予定地を回りました。

 2時からは、首里にある喫茶店の共同作業所「あごら」での交流会。

 4時から、国際通りの三越前で「ジュゴン基金」の街頭宣伝。

 6時半から、牧志公園で5.15沖縄サミット反対の集会デモに参加。

 デモ終了後、宮古島の人がやってる料理屋で打ち上げ。

◆16日。「あごら」の島田さんの案内で、名護・辺野古に行きました。

 東恩納琢磨さんがヘリポート基地のできる海を一望できる海岸に連れて行ってくれて、説明してくれました。「こんなキレイ海に基地をつくるなんて、絶対に許せません!」 沖縄に基地はいらない・サミットは反対! そうした熱い思いを心に決めた旅行になりました。詳細な報告は後日に。


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